![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/119015747/rectangle_large_type_2_322ad492e7ff6c41c4bb0fc05ff0328f.png?width=800)
頑張らなくてもいい関係を、ずっと大切にしたい。
昨日、久しぶり大学時代の同期たちと飲みに行ってきました。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/119015527/picture_pc_ec7dfd1b0f83e9866114e54f1270e074.png?width=800)
同じ大学の、同じ専攻だったメンバー。
今年の春に結婚報告をしたところ、お祝い飲み会を企画してくれました!
日曜日の真昼間からみんなでお酒を飲んで、あっという間に過ぎていく楽しい時間。
結婚とか出産とか健康とか、話題はアラサーっぽくなったものの、それ以外はなにも変わらない様子に、お互いがすごく安心感を覚えているような、そんなひとときでした。
久しぶり会ってすぐはちょっと緊張するけど、5分も話せばすぐにあの頃に戻れるような、そんな関係。
「あぁ、頑張らなくてもいい関係って、すごくいいな」と、しみじみと感じました。
思えばここ数ヶ月間、私はいつも頑張っていた気がします。
結婚して親族が増えたり、フリーランスとして仕事を広げていくうちに新たな関わりを持つようになったり。
どれも素敵な出会いだし、これからも大切にしていきたい人たちばかりです。
でも、正直なことをいうと少し疲れてしまっているのも事実で。
私は全っ然しっかりしていない、ただのポンコツなのですが、なぜか「しっかり者」「ちゃんとしてる人」というイメージを持たれがちなのが、長年のコンプレックスです。
さらに、こう見えて(?)根は真面目なので、「期待に応えなきゃ」「しっかりしなきゃ」「失礼のないようにしなきゃ」と、すごく頑張ってしまいます。
「しっかり者」という誤解を解くのではなく、相手にとっての私のイメージを崩さないよう、期待どおりのしっかり者になることに、死力を尽くしてしまうんですよね。
まあ、それは本来の私ではないので、いずれボロは出るんですけど。
それに対して大学の同期たちは、多分私に対して「みきてぃはしっかり者」というイメージをあまり持っていません。
しっかりしてそうで実はそそっかしいところ。
本当は気が強くて口が達者なところ。
実はあんまり性格がよくないところ。
そんな短所が原因でケンカしたり、揉めごとを起こしたりもしてきましたが、だからこそ「みきてぃってそういう人だよね」と知ってもらえてる。
今さら猫を被る必要なんて、まったくないのです。
逆も然りで、私も同期の短所をたっくさん知っているからこそ「いつものことだよね」と受け流せたりします。
みんなと知り合って、もう10年。
それぞれが違った毎日を過ごしていて、新しい人間関係を築いている中で、きっとみんなそれぞれ、なにかを抱えて暮らしています。
大人になるにつれて、だんだんありのままの自分ではいられなくなるし、思ってもないことをいわないといけないこともある。
常に頑張っていないとやっていけないような日々の中で、なーんにも気負わず、頑張らなくてもいい関係ってなんて尊いものなのだろう、と感じました。
頑張っている自分も決して嫌いじゃないけど、頑張らなくてもいい時間や関係を、すごくすごく大事にしていきたい。
そんなことに気づかされた、日曜日でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?