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「好き勝手に書く」の効果は想像以上なのだと気がついた。

こんばんは。
今日も今日とて夜更かしをしているみきてぃです。

さて、5月以降めっきりnoteの更新が減っております。


その理由は、出勤しなくなったから。


noteをはじめた頃は週に3〜4日都心へ出勤しており、その通勤時間の暇つぶしも兼ねてスマホでポチポチとnoteを書いていました。

noteのためにあえて時間を確保したことってあんまりなくて、片道約1時間の通勤時間、さほど興味のない動画やネットショッピングサイトをダラダラと見るよりは……と続けてきた感じです。


ながら作業でも立派に習慣といえるほどは続いていたし、なんだかんだネタが切れることもなかった。

というのも、私ってなにかハッピーなことや前向きなことがあったときよりも、嫌なこととかムカつくことがあったときの方が「書きたい!!!」というパワーが湧いてくるタイプで。

会社に務めていたころは、早起きにイライラし、満員電車にイライラし、お客さんからのクレームに傷付き、社内の人間関係に疲弊し、組織の仕組みに不満を抱き……

要はストレスフルだったわけです。


5月中旬に会社を辞めて在宅ワークになってからは、早起きや満員電車から解放され、お客さん対応をしないのでクレーム処理もなくなり、特定の人にしか会わない生活なので人間関係の悩みも格段に減りました。

嫌なことが減り、かつnoteを書くために使っていた都合のよいスキマ時間もなくなり、noteを開く時間も少しずつなくなっていったのです。


習慣にしてたことを失っていく寂しさを感じつつも、嫌なことがないならええやん!って思っていたのですが


ここ数ヶ月の私は、なかなかに落ち込んでいます。(アレ?)


会社に行ってたときみたいに、「アレがヤダ!」とか「コレは納得いかん!!」とかの具体的な悩みや不満が出てくるワケではない。

けど、なんとなーくモヤモヤするような、なんか少し不安なような、でもなにが不安なのか分からないような気持ちがずっと続いています。

誰かに怒られたり責められたりしたワケじゃないのに、「私こんなんでいいんだっけ」「で、次はなにを目指すんだっけ」みたいな。


あぁ、これがかの有名な「漠然とした不安」というヤツね。


思い返せば、ここ数ヶ月でなくなったものはnoteだけではなく、会社を辞めたことを機に読書もしなくなりました。

通勤時、行きの電車はnote、帰りは読書というのがルーティンだったのですが、それもなくなっていたのです。


毎日自然とインプット・アウトプットを繰り返していたのに、それが徐々になくなっていくことで、自分の気持ちと向き合ったり整理する時間や、「内省」という考え方そのものさえも失いかけていました。


なんというか、noteを書かなくなってから、また自分の嫌いな自分に戻りつつある。


私のnoteは、基本的にきれいな言葉じゃないし、ライターのクセに文章も全然まとまっていない。

でも、思ったことを思ったように書き殴ることに、「まさか、こんなにも?」と思うほど、想像していたよりもずっとずっと意味があったのだと実感しました。


大好きなnoteを「書かなければ!」という義務感に駆られるのは嫌だけど、都合のよいスキマ時間がなくなった今、生活のどこかにnoteを組み込めるタイミングを見つけたいな、と思っています。

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