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なにかをやるのに、意味ってそんなに必要?

なにかを始めること、なにかをやることに、人はいつも具体的な理由を求めがちです。


お金が欲しいから。
人気者になりたいから。
なにか成果が欲しいから。


目標があって頑張ることはとっても良いことだけど、「別に毎回明確な目標がなくてもよくない?」って、最近思うようになったのです。


私は、なんでも軽率に手を出します。


大金がかかることとか、周りの人を巻き込まないといけないこととかは流石に慎重になるけど、初期費用も大してかからず一人で始められることには関しては、わりとなんでも簡単に「やってみよ!」と思ってしまうタイプ。

noteもその中のひとつで、他にも例をあげると、YouTuberやったりライバーやったり。
数年前にはアメブロでブログを書いていたこともありました。

もちろん、最終的には収益化を目指しているものや、ファンが欲しいなと思ってやっているコンテンツもいくつかありますが、全部が全部そうではない。

音楽や写真などの芸術活動をしている私にとって、そもそも発信や表現は仕事でもあり、好きなことでもあります。
ブログやSNSの類いは義務感2割、好きでやっている気持ちが8割ってところです。


そんな発信大好き、語るの大好きな私、周りにたま〜に言われるのが


それ、なんのためにやってるの?

っていうこと。


うーーーん。
「なんのため」と言われると、すごく難しい。
ただやりたいから、やってみたいからやっている時の方が多いから。

noteに関しては特にそうで、「大人としてそれなりの文章力を身に付けたい」というざっくりとした目標しかないし(そもそも『それなりの文章力』ってなんだ…?笑)、書くこと自体が楽しいからというのが一番の理由です。


ごく稀に、「お金にもならないのにムダじゃね?」というニュアンスを含んだ言い方をされることもあるけど、趣味なんだからお金になってなくてもよくない??

ゲームが趣味の人だって、お金にならないけどゲームやってるじゃん。むしろお金払ってやってる人だっているよね??


私の場合は半フリーランスのような働き方をしているせいで、それが策略的発信なのか趣味の発信なのかボーダーラインが曖昧になりやすく(自分でもよく分かっていない)、余計に「なんのため?」と思われがちなのかもしれません。

特に自分のスキルやキャリアとして安売りしたくない部分は趣味として発信しないよう、線引きはとても大事です。


でも、基本的には、理由がなくても、明確な目標がなくても別にいいんじゃないかって思います。


「やりたいからやってる」

これ以上に深い理由なんてない。


ただ楽しいから続ける。
その先に新たに目標を見つけたり、思いがけない結果が着いてくればラッキーかもしれないですよね。

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