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人のことは許せるのに、自分のことは許せない時、あるよね。

人がやっているのを見ていてもなにも感じないのに、自分に置き換えると違和感のあることってありませんか?


「忙しい。」


これ、私がなぜかあまり言えない言葉です。
(って言いつつ、言ってるとき結構あるけど)

場合によってはあまり良いイメージを生まないので、使いたくなければ使わないで問題ないのですが、人と予定を取り付ける際に「ちょっと最近忙しくて」のひとことが言えない、言いたくないと感じてしまうことがよくあります。

自分が人からどう見えているのかは分からない。
分からないけど、すごく気になる。

私は忙しそうに見えているんだろうか、それとも暇そうに見えているんだろうか?

「最近ちょっと忙しくて」、そう言ったときに相手は私のことがどう見えるのだろう?と、とても気になります。

「お前みたいな平々凡々なアラサー女が、なにして忙しいんだ?」と思われるのか、「ハイハイ、色々頑張ってて忙しいですアピールね」と思われるのか。

答えはきっと、そのどちらでもなく「あ、そうなんだ、忙しいんだ」と、ただシンプルにそれだけなのだと思います。
むしろ皆そんなに私に興味ないし、自意識過剰もいいところです。

でも、ネガティブもこじらせるとこの域まで達してしまうんです。

逆に、自分が人から「最近忙しくてさ〜」と聞かせれたとき「なんやコイツ」と思うのか?と聞かれると、全くそんなことはなくて、「そうなんだ〜」と思うだけです。
相手にもよりますが、他人の「忙しい」の内容にそれほど深い興味はありません。

人間って、結局そんなもの。

人がやっていることはなんの違和感もなく受け入れられるのに、自分が同じことをしているときだけ、なぜかどうしても許せない気持ちになったりするものです。

でも、人は思っているほど私のことなんか見てないし興味もない。

私の「忙しい」の中身を知りたい人なんてそんなにいないし、「コイツ本当に忙しいのか?!」とSNSを嗅ぎ回る人もいないでしょう。もしもいるとしたら、それはもう私のファンです(笑)

大丈夫、私が思っている以上に、みんな私になんか興味ない。

良い意味で割り切れれば、もう少し自分を許してあげられそうです。


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