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私も、水の呼吸と日の呼吸を混ぜて戦うよ。

タイトルはオタク感満載ですが、今回はそういう話ではなくてですね。

自分に合っていること、合っているものを見つけるって、幸せに生きていくために見過ごしてはいけない最重要事項なのだと実感しています。

先月、こちらを読みました。

文中のワークをやろうやろうと思い未だ手付かずですが、ザーッと読み飛ばしただけでもかなり刺さる内容です。

特に私の心にグッサァァァときたのがコチラ。

それはポケモンで、ピカチュウがはっぱカッターを覚えるようなもの。

八木仁平

電気タイプのピカチュウがどんなに努力したところで、草タイプのフシギダネには多分適わないよねって話です。

ただ、私はポケモンはあんまり詳しくないので、大好きな鬼滅の刃に置き換えてみました。


鬼滅の刃の主人公、竈門炭治郎。
彼は最初「水の呼吸」というポケモンでいうところの水タイプを習って、それを自分の武器として鬼と戦っていたんですよね。

炭治郎はものっすごい努力家で、血反吐を吐くような努力を積み上げたので、一応水の呼吸の技を全部覚えられたワケなんですけれど、実は水の呼吸は彼の身体に合ってないことが後に分かります。

炭治郎に本当に合っていたのは、日の呼吸・ヒノカミ神楽。

炭治郎本人がそれを自覚するシーンは印象的でした。

出典:鬼滅の刃

実際、炭治郎は水の呼吸で戦うと刀がすぐに傷んだり、本当に強い鬼には太刀打ちできなかったりするんです。

これがまさに、適正ってやつなんですよね。


確かに、才能がない事柄でも死ぬほど努力をすれば人並みにはなれるかもしれない。
でも、もともと才能を持っている人には到底適わないし、「人並み」では目的を達成できないことだってあるんです。

炭治郎だって、それを理解したからこそ鬼を討てたわけですからね。


しかし、「じゃあ炭治郎が水の呼吸を極めようと努力した時間はムダじゃんね」といわれると、それもまた別の話だな、と思いました。


才能がなくとも「人並み」まで磨き上げたものは、決してまったく使えないものではないのです。

炭治郎も、適正のないはずの水の呼吸と、自分に合っている日の呼吸を混ぜて使うシーンがあります。

出典:鬼滅の刃

決定打にはならなくとも、その場を繋いだり、ひとまず現状を打開する要素のひとつにはなり得るのです。

これって、めっちゃめちゃ「人生だなぁ!」って思いませんか??


私自身、今まで色んなことに手を出して「向いてなかったなあ」「才能なかったなあ」と辞めたり諦めてきたことがたっっっくさんあります。

当然、それを「時間のムダだったな」って思ったこともあるのですが、決してまったくのムダ、0ではないんです。


適正がないのに、努力だけで作り上げたもので一撃必殺は、確かにできません。

でも、自分の本気の才能を持ってして立ち向かわなければならないほどの大モノって、人生でそう何度も訪れるもんではないと思いません?多分。知らんけど。


めっちゃくちゃ雑な言い方ですが、小モノは叩き上げの水の呼吸で成敗すればいいと思うんですよ。
いつでもどこでもヒノカミ神楽を繰り出さなくたって、別にいいんじゃないか。

積み上げたものは、なにもムダじゃない。

ときには本気の才能と混ぜ合わせたり、ときには使い分けたりしながら、自分の目的を達成していくのがいいよねって思うんです。

▲今回のnoteは当書の内容の本筋とはズレている部分ありますが、めっちゃいい本なのでまだ読んでいない方はぜひ。

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