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人生って、小さな選択の連続だから。

先日参加した「朝渋ブックス」で、登壇者のゆぴさんと、主催の5時こーじさんのトークセッションで出た話題が印象的でした。


「悩みって意外と自分で作ってるのかも」

「嫌なら辞めればいいし、辞めないというのは自分の選択でもある」


一言一句同じではないですが、こういったニュアンスのやりとり。

後出しジャンケンみたいな言い方になってしまいますが、コレってまさに私がずーっと感じていたことで。
心の中で「まじそれな!」とめちゃくちゃ相槌を打っていました。

人生って、結局は小さな選択の連続なんですよね。

どの会社に入るとか辞めるとかの大きなことももちろん、今日のご飯は和にするか洋にするかといった些細なことまで。

子どもの頃は学校や親に「ここからここまで」「AかBかCか」とある程度の制限をかけられたうえでの選択でしたが、大人になるとその制限ってほとんどなくなります。

法を犯さず、周りの人に不快感を与えなければある程度なにをやっても自由。
住む場所も働き方も、今日着る服も、全部自分で決められる。

というと、スーツ出社必須の人は「いや、着る服は自分で選べんし」と思ってしまいそうですが、「そもそも私服NGの会社を選択したのは自分やん?」ということになるんですよね。

パートナーに言いたい文句もたくさんあれど、その人を選んで付き合っているのはほかでもない自分だし、今太っている自分に嫌気がさすのも「運動めんどい=やらない」を自分が選んだ結果だったりします。

そんなふうに紐解いていくと、今の自分を作ってきたのはやっぱり過去の自分。

そうは分かっていても、なかなか割り切れない、選択する勇気が出ないのが人間というものです。

まさに、今の私がそれ。

ここ最近よく関わる人で、ちょっと、いや、かなり苦手な人がいます。
会う度「ムカつくな〜〜〜」とイライラし、そんなに嫌ならもうその仕事ごと辞めてしまえばいいのに、なかなか「辞める」という選択をできず、毎回変なストレスを抱えながら一緒に仕事をしています。

「そんな言い方しなくてよくない?!」とか「いや、お前も人のこといえんやろ」とか文句はたくさんあれど、それを伝える術もなく、というか伝えたってきっと溝が深まるだけで改善には向かわない。

だったら「立ち去る」という選択権が私にはあるはずなのに、色々な要因から「立ち去らない」を選んでいるのも結局私なんですよね。

そう考えると、

「いや、これを選んだ私にも非があるか」
「というかこの負の選択、いつまで続けるん?」

と、自分を見直すきっかけにもなってきます。


人生は、毎日の小さな選択の連続で続いていく。

明日の自分がなるべくヘルシーでいられるように、日々の選択をもっと大切に丁寧に見つめていく必要があるのかも。

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