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大人になるということは、嘘を覚えることなのかも。

大人の世界は、お世話や社交辞令、建前をうまく使いこなさないと生きていけない。

本当は思っていないことを言う、言われる。
私が一番嫌いなことでした。

音大生時代、先輩の演奏を聴きに行っても、本当に良いと思わない限りは「お疲れ様でした」しか言いたくなかったし、逆に自分が目に見えてボロボロだったとき、「良かったよ!」と人から言われるのも大嫌いでした。


ものごとの感想のほかに、人間関係でも同じこと。

「どう思う?」と聞かれれば相手と真反対の意見でも正直に伝えるし、「酷いと思わない?」と言われても本当に共感できない限り、首を縦には振れません。

もちろん言い方ってものもあるし、相手を全面否定するつもりでやっているつもりではないのですが、「思っていないのに同意する」ということが、やっぱりどうしても好きになれないのです。

だってさ、すごく極端な例えをすると、本当はウニが嫌いなのに、その場しのぎで「おいしいよね!」に同意したら、私はその人の前で一生ウニ好きを演じないといけないじゃないですか。

それって「ウニ好きの私」という別の人間が爆誕しているといっても過言ではないくらい、私にとっては奇妙な感覚です。

人から相談を受けたとき、全然分からないのに簡単に「気持ちは分かるけどさ……」なんて言えば、「その相手と共通の感覚がある私」という別の人格がひとり歩きするのです。

それに、「分かるって言ったのに!」と余計に相手を怒らせかねません。

だから、思っていないことはやっぱり極力言いたくない。
私じゃない私を、これ以上生み落としたくはない。

でも、やっぱりこの世の中というのは、「本音」を隠して「建前」を使いこなさないと生きていけません。

分かってなくても「分かる」と言えた方が強いし、酷いと思っていなくても「酷いよね!」と言えた方が得なんですよね。とりあえず適当に同意しておいた方がラクです。

さすがに頑固な私も、大人になるにつれて建前というものを覚え、「気持ちは分かるよ」と言えるようになりました。

「どうだった?」と聞かれれば、余計な感情は隠して「良かったです!」と言えるようになりました。

本当に思っていることを伝えるのは、心を許した限られた相手だけでいい。

でも、思ってもいない「分かる〜!」が上手になるたびに、また別の私がこの世に生まれた気がして、奇妙でならないのです。

大人になるということは、嘘を覚えることなのかもしれない。

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