コラム

後ろ向きで前に引っ張られる

先週末、国立新美術館で開催されている東京五美術大学連合卒業・修了制作展に行ってきた。

出展していたのは、武蔵野美術大学、多摩美術大学、女子美術大学、東京造形大学、日本大学芸術学部の5つ。


絵画、彫刻、その他のファインアートが出展していて、デザインとか漫画とかはここには出ていない。

国立新美術館でやるにあたって、大人の事情で少々制約もありそう。

だから本当は、各大学でやってる卒展も行った方がより楽しめると思う(もう終わってるところが多いけど)。

今回は、割と有名な五美大の卒展が一緒に見れるというおトク感で行ってきた。


アート鑑賞はとても面白い。 大好きだ。

だが僕はアートが分からない


いろんな趣向の作品があって、僕はそれらの前をゆっくと歩きながら、ひとつずつ眺めていく。

なんとなく気になった作品の前で、僕は足を止める。

何を伝えたいのだろう」「何を表現しているのだろう

じっくりと考える。 観察する。


一瞬で理解できるものもあれば、題名を見て「なるほど」と腑に落ちるものもある。

「そうか、こんな表現方法もあるのか」と思えたときは楽しい。

彼らの発想力は、決して見ている人を飽きさせない。


けれど困ったことに、ほとんどの作品はその意図が全く分からない


卒展の場合、基本的に解説文は無く、頼りになるのは題名だけだ。

なのに、とても不思議で独創的な、訳の分からないインスタレーションを目の前にして、その題名が「無題」だったときには、この行き場のない感情をどこに向ければいいのか分からなくなる。


分からないのに、裏側を深く考える。

芸術を嗜む人の顔の真似をしながら、考える。

常に全く分からないものをインプットし続けるけれど、仮説すら立てられないから、結果的に何も考えていないような状態になる。

ずっと考えているのに、ずっと何も考えていない。


大量に何かを入れることによって、僕は強制的に「無」になる

まるでみたいだ、と思った。


開き直った僕は行き着いた。

別に深い意味なんて無いんじゃないだろうか。

彼らは全員がプロの芸術家を目指している訳でもないし、いろんな目的を持って美術大に通った、ただの大学生だ。


めんどくさいから適当にさっと作った。

ただかわいいものを作った。

ウケ狙いでふざけて作った。

そんなのもきっとたくさんあるだろう、大学生だもの。


意味なんか無くてもいいのさ。

分からなくたっていいさ。

それもアートだ。 アートって自由なものでしょ。

アートの意味知らないけどね。


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