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なぜ「教育を変えたい」のか

飲みの席も含め、将来やりたいこととかキャリアの話とかしてると、
「まあ、いずれは教育を変えたいなって思ってるんですけど」
ってよく言うんですよ。

でも、なんで教育を変えたいのか、いつ頃、どこをどうやって、どんな風に変えたいのかって、ちゃんと文章にしたことが無かったので、
ここらで一度、整理しておこうかと思います。


なぜ教育を変えたいのか

それは、社会を変えたい、もっと良くしたいって思ったときに、
その変えたい部分が何であれ、最終的に「教育変えないと根本的には変わらないよな」って思うからです。

社会をもっと良くしたいのは、社会のためじゃなくて自分のためです。

だって、面白い社会で生きてる方が楽しいじゃないですか。
皆が笑顔で楽しそうで幸せな方が、自分が楽しいじゃないですか。


あ、どうなんだろう。
周りがつらそうに苦しんでる横で、自分だけなんの不自由もなく満たされてたら、それは楽しいのかもしれない。

でもたぶんそれが幸せと思えるのって、自分が別の世界からフィクションとして見下ろしてるときだけだと思います。

行ったこともないアフリカのどこかで子供が餓死したって、
行ったこともないスウェーデンで国土のほとんどが山火事で焼けたって、
「ああ、大変だなあ」としか思えない人がほどんどだと思うんです。

でも、自分が乗ってる電車の同じ車両で、自分以外が皆ヨレヨレのスーツ着て、ため息吐きながらうつむいてたら、自分まで疲れるじゃないですか。
居酒屋でお酒飲んでるときに、同じテーブルの人たちが皆泣きながら「もう仕事辞めたい、死にたい」って言ってたら、自分まで鬱になるじゃないですか。
自分の地元が大雨で大規模な水害にあったら、そりゃもう心配になるじゃないですか。

少なくとも、自分が「自分の住んでいる世界」としてはっきりと認識できている範囲においては、皆がハッピーな方が自分もハッピーなんです。


皆がハッピーって言っても、皆が毎日木陰のハンモックで優雅に本を読んでる世界ではなくて(それはたまにやるから良い)、
もっとこう、「好奇心」に満ち溢れた世界にしたいんですよね。

知らないことを知りたい、理解したい、解き明かしたい、
やってみたい、見てみたい、常にそんな風に思ってる、ワクワクする世界

好奇心に満ちた人生が幸せ、という価値観は僕個人の押し付けかもしれないけれど、
そもそも社会をもっと楽しくしたいって欲求は自分のための欲求なので、何も問題はない。


好奇心を持つということは、今の視野の外側を見ようとするということです。
しかし、ホリエモンの言うように、すべての教育は「洗脳」であって、
それはすなわち、視野を狭め、観念を固定化し、常識を正解として植え付けることで、国家が国民をコントロールしやすくするということです。

しかし、これからのご時世に「国」というフレームで考えることがもはやナンセンスで、
ただその一方で、教育を施す以上すべてが「洗脳」になってしまうのも事実であります。

であれば、常に正解は視野の外側にあると洗脳し、好奇心を植え付け、
常にアンコントローラブルであるかのように振る舞うようにコントロールすることで、面白い社会を作り上げる。
そういう風に教育をしたいのです。


そうです。
自分でも何が言いたいのかよく分からなくなってきました。

とにかく、「面白い社会」を作りたいんです。

「小学生にこんなこと教えたら、こいつらは10年後にどんな社会を見せてくれるんだろう」って、そんな教育をしたいんですよね。

一度植え付けられた価値観・観念は、大人になればなるほど変わりにくくなりますからね。
大人を必死に説得するよりも教育を変える方が容易で、後に社会に与えるインパクトも大きいのです。

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