そのうち「やりたいこと」が見つかる、なんてことはたぶんなくて

なんかこう、とりあえず日々を暮らしていたら、いつか何かのきっかけで自分の「やりたいこと」が見つかる、なんてことはたぶん幻想でしかない。
いや、実際にはそういう「何か」が偶然やってくることもあるんだろうけど、ただ受け身で待ってるところにそれがやってくるのはいつになるか分からないし、それをアテにして生きていくのはちょっと心許ない気がする。

というか、結局のところ、知らないし、やったこともないものを「やりたい」と思うことがあるだろうか?
例えばテレビとかSNSとかでその新しい何かの存在を知って、「やってみたい」と思うことこそあれ、いきなりろくに知りもしないものを「やりたい」とか「これで食っていきたい」とか、そういう気持ちになることはあり得ないんじゃないか。

要するに、僕らは自分の過去の経験を基にした選択しかできないということで。
結局、自分に見えている世界の中でしか物事を考えられないのだというのは少しつまらないけれど、それが現実。
だからこそ、その「やってみたい」と思ったこと、ほんの少しでも興味を持ったことを、とりあえずやってみるとか、調べてみるとか、まず何かしら行動を起こしてみることに意義がある、というのはある程度正しいのだと思う。

この最初の「とりあえずやってみる」のハードルが何においてもめちゃくちゃ低い人達が僕の周りにもいて、そういう人は自ずと広い知識や経験を持っているのだけれど、一方で、全てにおいて「浅い」かと言ったらそんなことはなく、少なくとも1つか2つは深くのめりこんで極めているものがあったりする。

とはいえ、何でもかんでも片っ端から手を出して、「これじゃない」「もっと自分に合うものがどこかにあるはず」と必死に探しすぎるのも危ういかもしれない。
一度手を出したもの、目の前のことに集中しきれていないというか、そういう癖が付いてしまったら、きっと何においても上手くいかなくなったときに「これは自分のやりたいことではない」と決めつける逃げ癖みたいなものが定着してしまう気もする。
もちろん、本当に自分に合っていないことを我慢してやり続けて疲弊してしまうのも良くないので、結局のところ大事なのはバランスだったりするんだけど。

世の中の全てを知り尽くすことなんてことは絶対に不可能なわけで、したがって今自分が知らない世界のどこかに存在するであろう「ベスト」に出会うことは永遠になくて、ある程度「ベター」な選択で妥協することも必要かもしれない。
本当はもっと面白いことがこの世界のどこかにあるのに、それを知らないまま死ぬっていうことにもどかしさは感じるけど。
できることなら違う主人公を選んで5パターンくらいの人生ゲームをプレイしてみたいよね。

でも残念ながら、「これを選ばなかった世界線」とか「あれを選んでいた世界線」がどうなったかは知ることはできないから、何が正解だったかは分からないし、とりあえず自分の選択を正解にするしかないというか。
いやそもそも「正解」なんてものもなくて、「やらなければいけないこと」だって実はほとんどないんだから、まあ好きなように生きていったらそれでいいんじゃないかとも思ったり思わなかったり。

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