note_ヘッダ

僕らはずっと前から死刑囚だった

ちょっと刺激的なタイトルですが、変に陰鬱な話ではないので安心してお読みください。


先日、ふとこんな疑問が浮かびました。

死刑における刑罰の本質とは何だろうか?」

刑罰というのは、法に背いて罪を犯した者に対する制裁のことです。
何を剥奪するかによって、大きく「生命刑」「自由刑」「財産刑」の3つに分けることができます。
日本の刑法では、「生命刑」が死刑、「自由刑」が懲役・禁錮・拘留、「財産刑」は罰金・科料・没収と、計7種類が定められています。

で、そういう法律的な話はさておき、
もっと本質的に、「死刑におけるどの部分が実際に罰として機能しているのか」というのが今回の問いでございます。
分かりにくいですが、つまるところ、「死」そのものは死刑の本質ではないのではないか、ということです。

なぜなら、死刑というのは判決が言い渡されてもすぐには執行されないからです。


せっかくなので、日本における死刑の現状をざっと説明しておきます。
文化的・歴史的な背景もあるので、一概に何が正しいという話は難しいのですが、
一応、国際的には死刑は廃止の方向に進んでいて、それでもなお死刑制度を維持している日本の国民としては、ある程度のことは知っておいてもよいのではないかと思います。

現在、日本には死刑の未執行者が100人以上います。
毎年、数人が新たに死刑判決を言い渡されています。
実際に執行されるのは、1年間に数人~十数人程度です。
したがって、死刑を宣告されたのものの執行されないままでいる死刑囚の数は、横ばい~やや右肩上がりで推移しています。

ちなみに、2018年はオウム関連裁判が完結したこともあり、教団幹部らを含む計15人の死刑が執行されました。
2019年の改元や2020年のオリンピック等、「おめでたい」イベントが続くので、例年より多めに執行されたものと思われます。


あまり知られていないことですが、死刑は、誰がいつ執行されるかという基準が明確には決まっていません。
判決確定後6ヵ月以内に法務大臣が命令するものと法律で定められていますが、実際には、6ヵ月以内に執行されるケースはほとんどありません

拘置所内部の詳しい情報はあまり公表されていませんが、
元刑務官の方が書かれたこちらの本は、一読の価値はあると思います。
これは僕が高校生の頃に読んだ本で、やや古く、あくまでも主観的な書き口なのでその点には注意が必要ですが、興味のある方は手に取っていただきたいと思います。


長くなりましたが、話を戻しましょう。
死刑における刑罰の本質とは何だろうか?」という話です。

実は、死刑の執行の時期は、執行の当日まで死刑囚本人に伝えられることはありません
つまり、「では貴方は今からです」と伝えられるわけですね。

あえて棘のある言い方をすれば、「上」の「気まぐれ」によってある日突然命を奪われるわけです。
であるとするならば、「その日」を待つ日々こそが死刑の本質なのではないかということになります。


で、こういう仮説に行きつくと、「それは我々も同じことではないか」と思うわけです。

もちろん、囚われているかどうかという違いこそありますが、
「神」か「運命」か分かりませんが、そういう自分の意思の及ばぬ「何か」の「気まぐれ」によって、ある日突然終わりを迎える可能性が常にあるという点に関しては、何ら変わりはないだろうと思ったのです。

まあ、至極当たり前のことだと言ってしまえばそれまでのことで、今さら何を恐れるわけでもないのですが、ふとこういうことを思ったというだけの話です。

とりあえず、死ぬまでは生きるだけですよ。

飲食店の開業を目指して準備をしています。バカな若者をちょっと応援したいと思った方、サポートお願いいたします。 スキ・コメント・SNSシェアだけでもとても嬉しいです。