あなたのnoteの1万時間|スキはキライ?
あなたはnoteで何時間を過ごしているだろうか?
私は2020年の1月末にnoteを始めたから、結構な時間を過ごしているのだろう。
そこでスキという機能に踊らされるということがあった。
いっぱいスキをもらったほうがいいらしいと思って、スキを獲得するのはどうしたらいいのかな?と考えていたのだ。
そして、この話は「スキを集めるのをやめた」という体験談である。
■SNSのスキやいいねの価値観
スキやいいねを集める、これがたくさんあるとエライ!というSNSならではの価値観がある。
私は面と向かって誰かにスキと言われることも減った(なくはない、なくはないぞ!)が、noteにはなんて素敵な機能があるのだろう。
このスキやいいねの価値観がどうもしっくりこないので、noteを彷徨っていたら、私のスキな意見がありました。
スキなんかいらない!
なんとなく押してるだけだろ!
読んでもいないじゃないか!
そんなやつのスキはいらない!
しかも記事内容を読まないでフォローなんかするんじゃねぇ!!
こんな論調の意見をいくつか見つけた。
無駄を楽しむ|悲観主義から距離を取るという記事で、SNSにはいいねを集めるお説教(名言)が溢れていて、それがあまり自分の気質に合わないとも書いた。
私はそこまで強くは「なんとなくスキ」を嫌ってはいないが、だいたい似たようなことを考えている。
そもそもスキが欲しくてnoteを始めたのではなく、書きたいことを書いて評価を得たいから始めたのだ。
そこで私は手始めにハッシュタグをやめた。
■noteでハッシュタグをやめた日
私のTwitterアカウントは、フォロワーが700程度。
少ない。
8月にあったアクセスは、せいぜいこんなものだ。
基本的に決まった人気ハッシュタグを入れることで、ある程度のインプレッションは約束される。
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こんな感じのハッシュタグを使って、8月は実験的に運用した。
ちなみに20万インプレッション程度は、話題性のあるTweetにリツートや意見、リプライをすれば一発で獲得できるから、やはり大したアクセスはきていないことになる。(8月も1回だけ実験でやった)
訪問してくれる人が増えれば露出が上がる。
露出が上がれば宣伝になるのだから、露出はあったほうがいい。
noteも同じで、話題性のあること、例えばお題やハッシュタグの利用でアクセスが上がる。
自分の記事の露出が上がるからだ。
ところがnoteの私は、過去の記事からもハッシュタグを消していっている。
お題にも参加することは少ない。
ハッシュタグの削除は、マガジン機能での記事の管理が楽になるという理由もあるが、記事単体の評価をもっと大事にしたいと思ったのだ。
■ハッシュタグを入れるとどうなる
アクセスが上がる。
当たり前だが、自分の記事への導線が増えるわけだから上がる。
そりゃもう全然PVの伸びの初速が違う。
私の記事というのは100PVくらいが初速で、よく頑張って最終が300PVくらいで落ち着く。
アクセスを取ろうと実験した記事は300記事の中の3記事で、1000から3000PVくらいだが、明らかにPVを狙ってしまっているので、これは平均から外す。
記事はせっかく書いたのだから、多く人目についた方がいい。
よって、記事のハッシュタグも人気のタグを入れたほうがいい。
noteのクラッカーをもらうとなんだか嬉しい。
私の記事は、自分の体験したノウハウを公開しているのだから、目についてもそこまで迷惑な記事でもないはずだ。
ところがハッシュタグをやめたのである。
当然、アクセスは下がった。
PVの伸びの初速が半分くらいだ。
■記事の評価を測る
アクセスアップの土台を作るという仕事を受けることがある。
検索ニーズに合わせ、ユーザーニーズをAI分析し、最適な記事内容を割り出したのち、必要な単語を散りばめ、記事に根拠を入れ、外部の信頼できる記事へのリンクを入れつつ、適切な文字数で持論を展開する。
これが私の記事制作スタイルだ。
noteでも同じ制作スタイルで案件を受けたが、短期間で800程度のフォロワーの伸びを見ている。
なんだか文字にすると仰々しいが、やり方自体も教えてしまうので、クライアントは自走できるようになる。
作業を簡略化して実践で伝えることで、今まで無知識だったクライアントも、私と同等のテクニックを得るというやり方だ。
この作業には続きが合って、アクセスアップの土台ができただけだということだから、分析を続け、改善を繰り返す必要がある。
記事は書いたら終わりではなく、修正リライトが大事なのだ。
一発で大正解にはならない。
そこで大事なのは、自分の記事がどの程度の評価なのか知っておくことだ。
悪く言うと、マーケティングのテクニックを使わない記事で、どの程度のダメさなのかということになる。
■この程度なんだな
先程も書いたが、私の記事というのはせいぜい300PVくらいだ。
この程度だ。
おかげさまでポツポツ問い合わせもいただくが、もっと営業としたら頑張ったほうがいい。
ハッシュタグを使って、サービス内容を宣伝する記事を拡散したほうがいいのだ。
ところがそれはnoteのユーザーや仕組みに頼ったマーケティングのテクニックであり、足りない文章力の向上にはならない。
私は文章力を上げたいのだ。
その意味で、自分の記事の評価がプレーンな状態の方が、実力が測れる。
では、なんのために文章力を上げるのか?
■地力をつけるためのnote運用
文章力で勝負しなくても、スキやアクセスアップがすごく上手な人達もいることで、真似してみると、それなりに効果はある。
記事のPVは上がるのだ。記事の内容が薄くても。
むしろ内容が濃い記事は長文かもしれない。
ユーザーも読むのは大変だから、よほどのファンでもない限り最後まで読んでくれないだろう。
長文になってしまうのは、まとまりがないことにもつながる。
名言は一言一文でメッセージ性が強いのは、ダイレクトに文の評価につながる。
では長文は悪かというとそうではない。
丁寧に伝えたいことを書けば、長文になりがちであるし、長文の要素をかいつまんでまとめたとしても、それを補足しようとすると、また長文になりがちだ。
そして、文章というのは書けば書くほど力がつく。
大昔にライターの真似事をしていた時は、いわゆる人気ブログも運用していて、書籍もゴーストライターとして書いていたから、書きまくっていた。
別のことをしようとライティングから距離を置いたら、ライティングの力がガクッと落ちたのだから、やはり書けば書くほどいい。
その意味でも長文を嫌う必要はない。
ユーザーライクではないかもしれないが、即、長文がダメではない。
■土台としての文章力
長文が書けるという文章力は、マーケティングの土台になる。
文章力がないよりあったほうがいいというのは、誰でも賛同してくれることと思う。
そのためには今の文章力を知る必要がある。
今の文章力を知るには、自分の文章力の評価をプレーンな状態で知る必要がある。
己の文章力を知らないことには、どこをどう伸ばせばいいのかわからない。
逆に言えば、マーケティング、宣伝はいつでもできるからいくらでも学んでおけばいい。
文章力がないうちに、マーケティングの力だけを振るうと、肝心の伝わる文章力が欠け、伝えたいメッセージに具体性がなくなる。
どうなるかというと、「なんだか人が集まっていてすごそうな人だが、何をやっている人なんだ?でもなんかすごいんだろうな」という印象になる。
それでもいいならいいが。
なんだかすごい教の信者獲得のプロになっていくのは、私は出来ないしやりたくもない。
企業のプレスリリースもお手伝いすることがあるが、伝えたい内容がまとまっているからこそ、自信を持って宣伝できる。
先に文章力ありき。
#スキしてみて
文章力があったほうがいいという話から見ると、スキを誘導するというのはマーケティングだ。
そこで人気のハッシュタグを使うと、記事を見てもらうきっかけになる。
スキが獲得できる確率が上がる。
人目につくのは大事だ。
ところがスキをたくさん獲得しているnoteユーザーも、何故かnoteをやめる。
いくつかのnote引退のケースで、スキやフォローというマーケティングを先行してやってしまったことで、スキやフォローを得ることだけが先行し、文を書くことの楽しさを味わうのを忘れているのでは?と感じたことがあった。
実際にそういう人の記事は、スキが多いのだが、PVがなかった。
※実際に見せてもらった
書くことが続かず、マーケティングは上手いという状態だ。
それはそれで別の道があるのだからいいが、noteの本質は書くことではないかと思う。
文章力は無限に鍛えることができる。
鍛えて強くなれば、強い力は使いたくなるものだ。
そこまでくれば、書くことを全くやめる可能性は低くなる。
そこまできて、はじめてマーケティングをしても良いと思う。
文章力というスキルをしっかり身につけるのが先で、マーケティングはあとだ。
同時に学習してもいいが、先に奮う力は文章力であるほうがいいと思う。
では、文章力はどのくらい書きまくれば身につくのだろうか?
■あなたのnoteの1万時間
スキル習得にかかる時間として、1万時間の法則というのが有名になった。
よく見かけると思うが、概念的な話で、実際にはそれほど時間がかからないものや、もっと時間のかかるものも多いというのは、既に読者方々はご認識だろうと思う。
そう、この1万時間、ただの算術平均なのだ。
いつの間にか、誰でも1万時間を費やせばスキル習得ができるとか、スキル習得には最低1万時間が必要だと、誰かの都合に合わせて意味合いが変わったようだが、そういうことではない。
ただの算術平均だ。
3人のスキル習得を例にしよう。
Aさん 25000時間でスキル習得
Bさん 4000時間でスキル習得
Cさん 1000時間でスキル習得
25000+4000+1000=30000/3=10000時間
これだと数字の大小で並べ替えた時の中央値は4000時間だ。
これが10人いたら、100人いたら、平均というもののグラフはどんどんと平たくなるが、それでも上位と下位の差がどれだけあるかという話は、平均だけではわからない。
これは困る。
統計に詳しい方は、平均には種類があり、状況によって使い分けていると思うが、単に平均と言われるとそれが世間全体の平均であるかのように思ってしまうものだ。
私はAさんに近いだろうから、Aさんと同じグループの平均なら意味のある数字になる。
▽統計は嘘かもしれない
私が大好きな本で、ここ数年ずっと読んでいる本がある。
この本では、統計は、統計を使うものが、自分に都合よく嘘をつくことに使えるということを教えてくれる。
↓私がもっているのは、このデザインの本ではない。しかももっとボロボロだ。写真を撮ろうとしたがあまりに汚いのでやめた。
黒人白人の意識に関する論も今の情勢に適合していると思うので、ご興味あれば是非。
ここで言いたいのは、スキル習得の1万時間というのは目安だが、目安にもならないケースがあるということだ。
平均は恐ろしい。
■noteの1万時間
平均がわかったところで、noteでの1万時間をどう過ごすかという話になる。
この1万時間というのは概念で、実際は10時間かもしれないし、10万時間かもしれないが。
スキを集めることに使う1万時間と、文章力を磨く1万時間、どちらも大切だが、あなたはどちらのタイプだろうか?
私はマーケティングには、赤の他人が見ても宣伝したくなるような、他と比べた時に圧倒的な優位性があるべきと思う。
そのためには宣伝するもの自体の優れた点が必要だ。
だから文章力があるべきと思うし、文章力を鍛えることが、マーケティングの近道になると思うのだ。
何を伝え、どう伝えるかの力を学ぶために、noteは役に立つと思う。
では、そろそろスキをいただけると助かります。
心からのスキね。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。 書くだけでなく読みたいので、コメント欄で記事名入れてもらうと見に行きます。