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アジア人として生きること ー米国のヘイトクライムを考える

今年に入ってから、いや、本当はもっと前からあったのかもしれない、アジア人に対するヘイトクライムがアメリカで急激に増えている。
アジア人を狙った暴力事件、犯罪は、この2ヵ月間で500件を超えるという。毎日のようにお年寄りを狙った暴力事件の映像やニュースが流れてくる。そして先日起こった、8人の犠牲者を出した残忍な銃撃事件。そのうち6名は、アジア人女性だった。

わたしは自分の経験から、アメリカでのアジア人としての生きづらさを感じていた。表立ったヘイトは感じないけれど、いつもどこか劣等感みたいなものを感じずにはいられなかった。ハリウッドのドラマや映画に出てくるアジア人は、いつもオタクで勤勉、変な人で、ステレオタイプの描写がいつまでも終わらないことも気になった。声に出して言う人が少ないのか、それともあげた声は消されてしまうのか、アジア系アメリカ人や、アメリカに住むアジア人は、差別は確実に受けているのに、どうしてもっと声を上げられないのかと、「Black Lives Matter」運動の盛り上がりを見て思っていた。すべての人種が抱える差別の問題に、目を向ける時がきたのである。

ヴェトナム系アメリカ人である、Ocean Vuong著の『On Earth We're Briefly Gorgeous』の中で、アジア人差別の根幹にあるように思った、衝撃的な事実が書いてあった。
1884年の裁判で、名も無い中国人を殺害した白人の罪を裁くことが出来なかったと。その理由は、当時のテキサス州の法律では、「人間」の定義は「白人、黒人、そしてメキシコ人」であって、黄色人種は「人間」ではないということからだった。

また、真偽は定かではないが、有名なディズニーのある噂では、ミッキーの愛犬であるプルートは、アジア人を指すのではないか、というものがある。
プルートは、喋らない。そして黄色い色をしている。ミッキー(白人を指す)の言うことを忠実に従う、ペットである。
実際、この話が本当なのかは分からないが、誰かがこの話を推測でも作った時点で、アジア人蔑視の闇をのぞいていることになる。

果たして日本人は、自分がただのアジア人であることを自覚している人が何人いるだろうか。長年のテレビをはじめとするメディアの「日本人は特別」だという意識の植え付けによって、自分がアジア人であるという意識が薄い人が、あまりに多いと思う。
世界の様々なアジア人に対するヘイトクライムを、自分のことだと思って健全な恐怖を抱き、問題に向き合う姿勢を持てているだろうか。
日本人は、日本を出ればただのアジア人なのである。世界に出れば、日本人なのか中国人なのかなんて、そこまで重要ではないし、違いがあまり分からない人が多いのも事実である。中国も日本も同じ、と思っている人は驚くほど多い。
そんな現状を受け入れて、テレビが教えるように、「世界はみんな日本が大好き」なんてことはありえないことなのだと知らなければならない。

アジア人として生きる。その意識から、見えてくる日本の問題も多い。
日本人が無意識に行なっている他のアジア人に対する差別も見えてくる。
「外国人=アメリカ人」であるというイメージ、「外国人=白人」というイメージが、なぜいつまでも払拭できないのか。行き過ぎる憧れを持つ人がどれほど多いことか。

人の意識や信じるものを変えることは難しい。
コロナ禍のストレスを理由に、無責任な罪をなすりつけて、無差別にアジア人を攻撃する人々に絶望しながらも、しかし今こそアメリカをはじめヨーロッパなど、白人至上主義の国々に暮らすアジア人や様々なバックグラウンドを持つ人々の苦しみに目を向ける時なのだと思う。
そして自分が少しでも加害者にならぬよう、自分の考えに注意を向けるべきなのだと思う。無意識のうちに差別的な意識を持っている場合もある。わたしもそうだ。

そうして少しずつ、まずは一人一人、自身の意識から変える努力をすることが、解決へ繋がる確かな一歩であると信じている。

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