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いつだって泣くくらい簡単だけど笑っていたい、



道に迷った時、そして道が遠すぎた時に
一人呟いていたよ、そんなものだと



みんなから少し遅れて、M 愛すべき人がいて
のドラマを見た。
浜崎あゆみのどうしようもない素晴らしさと唯一無二の存在を実感した。


はじめて、アーティストのアルバムを買ったのは2002年に発売された浜崎あゆみのA BESTだった。特に、あゆを熱狂的に応援していたわけではなく、CDショップで聞いたA song for XXの孤独すぎる歌詞に衝撃を受けて、そのままレジに持って行ったのを鮮明に覚えている。


わたしは中学受験を経験していて、
小学校5.6年のときは流行についていけなかった。


月曜日になるとみんなは笑う犬の冒険の話をしていたけれど、わたしはテレビなど見せてもらえず、ずっと勉強をしていたから、みんなの話がいつも宇宙語に聞こえた。だから、いつもいつも孤独と戦っていた。
ただただ、勉強をすると大人に褒めてもらえることだけを希望に生きていたんだと思う。


両親には言えなかったけれど、小学校6年生のときはずっといじめられていた。
上靴に画鋲を入れられたことも、トイレで水をかけられたことも、体育館に閉じ込められそうになったことも、今でも覚えている。


わたしはどうして許されないんだろう…
小学生ながらにそんな想いで勉強にすがりついていたんだと思う。
勉強が出来なければ、わたしという存在は否定されている気がして、承認欲求のため、存在証明のためにあれだけ必死に毎日毎日塾に通っていたんだと、今振り返ると切ない。



中学生になって、環境が変わるため新しいわたしを作り上げた。
”明るくて楽しくておしゃべりが大好きで、友達がたくさんいるわたし”を何度も頭に思い描いて、馴染んでいった。


中学生になって、やっと自由を手に入れたわたしはテレビや音楽に接する時間を見つけ、あれよあれよと色んなものにハマっていった。


今まで触れたことのないジャニーズを見て、夢みたいな世界だと思ってハマっていった。
それと同時に色んなアーティストの曲を聴いていた。耳に入れる曲に選り好みがそこまでなかったから、わたしは浜崎あゆみも宇多田ヒカルも安室奈美恵も全部大好きだった。



だけど、浜崎あゆみはやっぱり特別だったな、と思う。
どうしてあんなに可愛くて、オシャレで、キラキラした世界に存在する人がこんな孤独で絶望に溢れた美しい歌詞を書けるんだろうと不思議だった。
遠い世界のあゆは、何でも持っているのに、何でも持っているから孤独なのかなって歌詞を拾いながら思っていた。


歌詞カードを眺めることが大好きだった。
文章にできても、音に乗せて、文字数を当てはめて歌詞を書けることは誰にでも出来ることではなさそうだと中学生ながらに思っていたから、自分の気持ちが書いた歌詞を見つけたら歌詞カードに丸印をつけていたことを覚えている。


A BESTに出会ったのは中学生だった。
明るくて楽しくておしゃべりが大好きなわたしは、ただただ作り上げたわたしであって、わたしの根底にはいつもいつも、”人に嫌われたくない”の意識がこびりついていた。


本当のわたしは、その頃から取り越し苦労をしてしまい先々のことまで考えて苦しくなるようなどうしようもなくネガティブで自信のカケラもない弱々しいわたしだったから。
もう二度と、許されないわたしになりたくない、嫌われたくない、とそう思っていた。


あゆの歌詞は、きっと色んな人の孤独に共鳴し色んな人の気持ちを救い上げていたんだと思う。
わたしも、完全にその一人だった。




アラサーになった今、再度聴くとまた違う孤独があって、そこに響いた。
20年たった今でも、あゆが書く歌詞は変わらずに響く。


今なら、あゆが10代の頃から芸能界という闇と光が交互に訪れる世界で一人戦いながら、自分の気持ちを歌にしていたのかなと思うと心が痛い。それは、わたしが社会人になって色んな気持ちと闘ってここまで生きてきたからこそ、ほんの少しだけ彼女の気持ちを想像できてしまうから、悲しく感じてしまう。


自分を商品としてプロデュースし、消費することはどれだけ心を削る行為なのだろうかと想像するだけで苦しい。
そして、その中で色んな愛を感じて紡いでいたであろうマサとの恋愛も、不正解だと判断し自ら別れを告げたあゆは本当に強くて美しい。


太った痩せたと揶揄されるけれど、あゆがどれだけの深い海を泳いでここまで生きてきたんだろうと、少し想像を働かせるだけでわたしは胸が痛い。自分の中で起こり得るたくさんの感情や気持ちと向き合って消化してきたのだろう、そのために曲を書いていたと思うけれど、それが売れることはある意味皮肉でもあると思う。



どこまでいっても、結局人は孤独だと思う。
あゆが歌うように、
一人きりで生まれて一人きりで生きていく、
んだと思う。


誰かが側にいてくれても、正しくない愛と向き合う時が訪れたり、間違った愛を差し出されたりするときもあるだろう。
誰かと手を取り合って分かちあえたとしても、わたしたちは常に常識を疑いながらたくさんの選択肢の中から正しいと思うものを選んで生きていくしかないのだから、孤独が隣り合わせで当たり前だと思う。



とにかく、今を大事に、今だけを見つめて生きていきたいと願う。
5年後のことなんて、誰にも分からない。
コロナのためAIやデジタル化が急速に進んでいくんだろうなということしか分からない。
きっと世界はすごいスピードで回っていくし、わたしがその速度にずっと追いついていけるとも思わない。


あゆの人生でマサが忘れられなくて特別な人だったように、みんなそれぞれ忘れられない人がいるんだろう。
思い出を振り返るときに、その忘れられない人の幸せを常に願えるような人でいたい、と思った。



今日がとても悲しくて
明日もしも泣いていても、
そんな日々もあったねと
笑える日が来るだろう



人生は思い通りにいかないものだと、
わたしは最近その言葉を心に留めて生きている。やっと、この年齢になってその言葉を心から納得できた気がする。


だから、消えてしまいたいと泣いた夜も、
もっと辛かったときのわたしが囁く。
まだ、頑張れるよと。


A BESTを聴こう。
浜崎あゆみの歌詞に、これからも助けられてながらこれからも孤独と闘って生きていこう。


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