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本当は「いいね」なんて言えないときもあって、


ステイホームがいつまで続くのか分からないこの時間、わたしはどうにか有効に使えないかと思って最近TOEICの勉強を始めた。


英語は好きだけど苦手なもの。逆を言えば苦手だけど昔から好き。


コロナが完全に収束したあとの世界はきっと、色んなものが変わっていると思う。
オンラインが加速するだろうし、人件費はあらゆるところから削減されるだろうし、その中で自分の価値を見出すことってすごい大変だと想像しただけでちょっと泣きそう。


都会に住んでいるわたしは、一度発車してしまうと途中でペースダウンしたり立ち止まったりすることがほとんど出来ない。毎日のタスクをこなすことで日々が終わっていくことが現実だから。


このまま坂道を転がっていくように疲弊していって、いつの間にか歳だけ重ねているのかなと思ったとき、自分の人生の進め方がこれでいいのかなと思い、心底人生設計を考え直そうと思った。

日本では、“人から幸せそうに見られたい”とか“人から自分がどれくらい幸せに見えているかどうか”を間接的に測ろうとする国民性とでもいうものがあるし、最近はSNSの普及でなおさら加速している気がする。


働くために生きて、誰かのために自分を犠牲にしても頑張ったりする日本人は、それが日本人だと思うけれど、それが自分の幸せに直結しているのか、わたしはみんなに聞いてみたい。


わたしも実際、仕事においては誰かに喜んでもらいたいし、感謝してもらいたいから、そのために頑張っているけれど、果たしてそれが自分の幸せに直結してるのかと問われると、心から潔く“はい”とは言えない。


人生100年時代と言われている今、わたしはまだ3分の1に地点にいて本来ならばもっと未来に対してポジティブに考えて日々を過ごしていくべきだと思う。


だけど日本には“アラサー”という言葉があって、30歳を超えたら価値が下がっていくとネガティブな意味合いを持つこのネガティブワードが蔓延している中で、どうやって未来に対して希望を持って将来設計すればいいのか、わたしには分からない。

直接的に誰かになにかを言われたり、見せつけられたりしなかったとしても、目に触れるものや耳に入ってくるもの、それら全てがノイズに聞こえることが多くある。



勝手にマウティングされている気もする。
“今からマウンティングするね”とか、“今から悪口言うね”という一言を告げてからマウンティングや悪口を言ってくれたらいいのに、と思ったこともある。それなら受け入れられるのに、と。


わたしはわたし以外の何者にもなれないし、
もう若さ以外なにも持ち合わせていなかった学生には戻れない。
だからこそ、今この時間がたくさんあるときにノイズのない静かな空間で自分の人生について、出来るだけポジティブに考えたいと思った。

周りの目や世間一般の言う普通は、わたしには普通ではないと思ったし、ちゃんと“わたし”という“自分”を主語にして考え直すことが大事なんだなという思考回路までたどり着くことができた。



また、わたしが最近ある出来事を通して学んだことがあって。

大きな決断のときに自分の本当の気持ちいわゆる本音と向き合わずに人生をすすめてしまうと、何年か後に自分の気持ちと現実との乖離が大きくなってしまい、その時には引き返せなくてどうしようもないことを教えてもらった出来事があって、自分の中で少しでも引っかかることがあるのなら無理矢理に物事をすすめることはやめよう、と決めた。


毎日を生きていると通勤の電車やバス、会社で出会う人、インターネット、テレビ、ラジオ、本、たくさんのノイズの中暮らしているから、どうしても見えない誰かの目を気にして自分を作り上げてしまうことがあると思う。



だけど、自分の人生は自分のもの。
誰のものでもないってこと、絶対に忘れてはいけない。


どんな時も自分は自分を否定しないこと、future is mine だ。


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