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「炎上」を考える.

遭難した時は火をつけて、火煙を出すことで「助け」というメッセージに。
昔ある所では遠方の敵の知らせを火煙を用いて「注意」を喚起していた。

火やそれから出る煙には様々な意味付けがされており、崇拝の対象になることもあるという。

では、現在インターネット空間で燃えている事象はどうだろう。

私は「炎上」には様々な形があると思っていて、大きく分けて3つあると思う。それについて今回は説明していきたい。

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個人の過失、犯罪etc

1つ目は芸能人やタレントなど個人の不祥事(離婚や不倫、クスリや犯罪など)。損害として想定されるのはその人自身とその人を応援していたファンが想定されるが、被害は後の2つ比べたらそこまで大きいものではない。ただ、ここでの炎上に対するクソリプやいわゆる叩きはかなり大きい。

特に叩き行為の正当化はポリティカルコレクトネス(ポリコレ)と呼ばれていてまさに日本はこのポリコレの渦に巻き込まれている。社会的な話はオフラインでできない日本ではあるが、SNSで顔が見えず匿名性がある程度担保されたことを良いことに他人を貶して自己評価を相対的に保とうとしている。

私はその行為自体に全く意味を感じられないが、食べログやAmazonレビュー、Googleなどで評価することに優越感を持った人々はそういった事象でさえも評価する様になったのではないか?とかなんとか。

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差別・偏見に関わる発言や発信に対する批判

2つ目は企業や芸能人の配慮の足りていない事象に対する炎上である。

具体例をいくつか紹介したいと思う。

●『岡村隆史のオールナイトニッポン』(ニッポン放送) 4月23日の放送

リスナーからの「コロナの影響で風俗に行けない」というお悩みに答える形で岡村氏が出した「回答」「コロナが収束したら絶対面白いことあるんですよ。なかなか苦しい状態がずっと続きますから、コロナ明けなかなかの可愛い人が、短期間ですけれども、美人さんがお嬢やります。短時間でお金を稼がないと苦しいですから」

→風俗で働く女性に対する差別であると批判

●タイツメーカー「ATSUGI」の公式Twitter

「11月2日は#タイツの日 なんと……本日のために様々なイラストレーターさんにアツギの商品を着用した女の子を描いて頂きました! タイツの日、1日を通して朝・昼・夜のシチュエーションで女性の脚もとを彩るタイツ・ストッキングのイラストをお楽しみください」

「素敵なイラストばかりで、動悸がおさまらないアツギ中の人。みんな……めちゃくちゃ可愛くないですか………」

→女性を性的消費していると批判
●NHK「世界のいま」アメリカBLMに関する番組での解説

1.抗議デモの背景には、奴隷制度時代から続く白人優越主義や、白人による黒人への暴力の問題が要素としてあるにも関わらず、「経済的格差」という側面のみに焦点を当てている。

2.「怒れる黒人」という偏見を助長するような描き方など、黒人をステレオタイプ的かつ見方によっては差別的に描いている。


この他にも足立区議や自民党員の杉田水脈などといった人たちの差別的な発言もこの中に含まれると考える。

1との違いをあげるとすれば、人や企業が発するメッセージによって不特定多数の人々が嫌悪感・違和感にさらわれたり場合によっては心的外傷にもなりうるものである、ということである。岡本氏のであれば風俗で働く女性はもちろん、ルッキズムの観点から嫌悪感を抱く女性もいるであろう。

NHKのBLMであれば、BLMに肯定的な人は「なぜアニメーションには黒人だけなのか?」といった疑問やそもそも説明の信憑性に関しても違和感を抱くであろう。

こうした出火先に原因があるものについて批判することに私は意味があると思う。批判の仕方も考えようであるが、同じ様なことを二度と繰り返さないための訓戒として違和感を持ったのであればそのモヤを言葉として出すことに意味があると私は考える。


考えさせるコンテンツから派生したもの

主に広告や誰かのメッセージではあるが、比喩的であったり疑問形で問いかける様なものがこれに当たると思う。最初に言っておくと、今のソーシャルメディア内ではこれを炎上の類と捉えている人が少なくないが、私はこれを炎上だとは思っていない。

そこに差別や偏見の要素が入っていればそれは2つ目になるだろうが、ここにはそういった要素は入っていない。ただ社会問題や何かしらのメッセージを視聴者やユーザーに向けて投げかける、意図的に考えさせるもの。
具体例をあげていきたいと思う。

NIKE 「動かしつづける。自分を。未来を。The Future Isn't Waiting 」


●貝印 「ムダかどうかは、自分で決める。」


●IWAKAN magazine「女男」


●若者よ、選挙に行くな


こういったものは比喩的・間接的に伝えたいメッセージが含まれていたり、社会問題や課題を問いかけることでそれを見た人に答えを考えさせる狙いを持つことがほとんどであると思う。

ただ、その比喩的・間接的であるが故に、メッセージの説明や意味をすっ飛ばし見た目や印象で物をいうもの達が筋違いの指摘や感想をブチ撒ける。

悲しいかな、Yahoo!ニュースの見出しだけで事象を把握した気になってあれこれコメントをする風潮はソーシャルメディア上に浸透しているし、実際自分自身意識していてもそれを行ってしまう時がある。

議論や傾聴、そして意見を持つことさえも教育やそれ以外で十分にしてこなかった分、こういうところでは「攻撃された」と思い込み、感情論で誹謗中傷に近いコメントをする人も一定数いるであろう。

かつ、メッセージ発信側ではなく、受け取る側に差別・偏見意識がある場合も想定することができよう。無意識の差別偏見意識は特にフェミニズムのムーブメントに多く見られるであろう。男女平等を目的とし、女性の権利回復や現状の不平等解消のために声を挙げているのにもかかわらずその本質を知ろうともせずに攻撃されたと誤解した人たちがフェミニズム・フェミニストの方々を揶揄する。

上の2つとは違い、受け取る側の本質的なメッセージを理解できていないことから派生した賛否。この表現については日本社会におけるメディアリテラシーの問題や、マス向きかどうかなどについても考える余地があると私は考える。

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情報を扱うに当たって、その情報の信憑性の是非について探ることはもちろんであるというのが情報過多のソーシャルメディア/インターネットと上手く付き合っていく方法の1つであると私は思う。

加えて今回の様に、「いいね」「RT」やコメントを残す前にそれって何が原因で起こったのか?これは何がどうなって火が上がっているのかという火の元確認も重要である。

どちらにしろ感情や「なんとなく」でそれに反応するのではなく、立ち止まって考えることが大切だと思う。

「火のないところに煙は立たぬ。されど火の由見てから咎め。」

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