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無事、お葬式も終わりました。

昨日の曇り空と雨から、一転して快晴の空。
母親のお葬式が滞りなく終了しました。
久しぶりに母親の妹さん(叔母夫婦)も北海道から会いに来てくれました。
父方の家族も久しぶりに集まってくれました。
皆んな、歳をとりました。いつまでも元気でいて欲しい。
今はコロナ禍という事で家族葬でのお葬式。
選んだ写真も素敵に仕上がっていて、色々選んだ装飾品も花もお食事もまずまず。
こじんまりとしていてでも暖かくて良いお葬式だったと自画自賛してみてるけど、どうだったかなぁ、母さん?

しかしながら、死者を送り出すというだけで、こんなに色々とやる事とお金がかかるのか?とちょっとビックリした。
亡くなるという突然の喪失に浸ってる暇がない。
そして「地獄の沙汰も金次第」を地で行く諸行。
何をするにもお金がかかる。
救急車で運ばれて処置して頂いても後にお金請求(まぁ当たり前と言っちゃ当たり前なんだが)そりゃ慈善事業って訳じゃない葬儀屋も商売だから仕方ないとは言え、矢継ぎ早にやる事が溢れ、打ち合わせ打ち合わせの日々。その都度「これこれいくら」と現実に引き戻されお金の算段をしなきゃならない。
そして、お坊さんの付き合いの有無、宗派の選定、一族の家紋、因習、お墓の有無、四十九日の法要の算段etcとやる事にいとまがない。
簡単に故人を祈って悲しめばおしまいにならないのが大人の世界。
これマジでかなりの貧乏家庭ならお葬式すらあげられない。
国も困ってる国民のそう言う所にサッと手を差し伸べられる場所であるべきなのに今だ「お役所仕事」と呼ばれる心無い無慈悲な諸行をしたり顔でやり尽くす世界観。昔から変わらない。時代に沿った変化を望むのになあ。
死亡届出すだけでも大変、遺産だとか相続だとか、もう頭パンクしそう。
司法書士雇う?弁護士?お金あればねえ?
本当、金、金、金の世の中DEATH。

母親方の家族は、事実上もうとっくに無くなってしまったけど、これで現実的にも妹さん(嫁に出てるけど)のみとなってしまった。
一族が消えるという事。
想像すらしなかった事が現実に起こると言う事。
いつか僕ら家族も消える。
今の所、受け継ぐ子供もいないし居たとしてもそんな重い思いなんかを背負わせたくないなと思う。

明日はクリスマスイブか。
はしゃぐ気には全然ならないけど、いつもの様にチキンとケーキ位供えるよ。
一緒に食べようね。

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