見出し画像

親子・夫婦・嫁姑共依存

私のつたない文章を読んでいただいて、どうもありがとうございます。
みなさまに支えられて今日も生きています。


私はこれまでの人生で、自分を尊重することができませんでした。
自分軸ではなく、いつも他人軸でした。

こどもには依存し過ぎていました。
ひとりっ子なのに期待し過ぎました。


こどもは、いい子であり続けようと努力していました。
私たち夫婦と義母は、こどもが意外と運動も勉強もできるので、もっと頑張れ、もっと頑張れ、と背中を押し続けました。


ある日、こどもはがんばり過ぎて気持ちが張り詰めてしまい、糸がプツンと切れました。
不登校の始まりでした。

私と夫も共依存でした。
お互いに機能不全の家庭で育ちました。
結婚したのも私が38歳、夫は40歳でした。
精神的な自立とは程遠い夫婦なんです。

私と姑も共依存でした。
姑は認知症を患っており、1年半ほど前まで同居しておりました。
今はグループホームに入居させていただいています。


私は主介護者でしたので、一番義母といる時間が長かったんです。
とにかく自分を抑えてました。
自分の機嫌が良ければ、義母と衝突、喧嘩することは避けられると考えてました。


夫は仕事で帰りが遅く、私は当時小学生だったこどもを頼りに生活してました。
こどもには、「私がおばあちゃんと喧嘩してるときは2階に行って(その場を離れて)」と伝えていました。


私は、いつも義母が何か問題を起こすのではないか、とハラハラしていました。
いつも戦闘態勢でした 笑。


義母の面倒をみることで、私が義母の役に立っている、この人には私が必要なんだと考え、自分を肯定していました。


私は自分の感情を抑圧してきたので、こどもにも影響してしまいました。


こどもに何が食べたいか尋ねても、これが食べたいとは言えません。
私がこどもに、ピザを作って食べたいね、と尋ねたら、うん、と答えます。
2択はできますが、メニューたくさんある中でこれが食べたい、と言うことは難しいです。


話はそれてしまいましたが、私は人との境界線を引くことが出来ませんでした。


今でもなかなか出来ませんが、こどもを尊重して、こども自身が自分の人生を自分の力で歩んでいけるようにサポート出来たらいいのかなと思います。


私にも私の人生がありますからね。
私の人生も楽しんでいけたらと考えています。
自分の機嫌は自分でとることを大事にしたいです。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。
みなさまの今日と明日も幸せでありますよう、お祈りいたします。