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はたらくって?

縦塗横抹日記3

 つらいことや面倒なことが起きたとき、僕は仕事に救われたと、ずっと思ってきた。人間関係のトラブルや男女関係がらみで悩んだり、ちょっとした事件に巻き込まれたり、自分の能力に対する他者の評価に不満があるときもそう。仕事の悩みを仕事で解決するというのも変な話だが、好きな仕事をしているときはもちろん、いやな仕事でも進めているうちに余計なことを考えられなくなる。もし働いていなければ、僕は人生の大半がクズだったと本気で思うし、「ちゃんと働いて」いれば自分を認めることができた。それが、いつの間にか「あとどれくらい働くのか、いや働けるのか?」という年齢になったようである。

「働くことで正気を保つ」

 昨年末、15年ぶりにある女性から連絡が来た。仲が良かった時は毎日の様に会っていたが、音信不通になり、そして久しぶりの連絡である。そして、不倫して旦那から離婚を迫られていると、告白される。不倫現場に踏み込まれてそのまま実家に帰されたそうで、幼い子供とはその後、会ってないとか。「もう気が狂いそうだが、訴訟中の今は狂うことができない」という。今はなにしてんのと聞いてみると、「昼も夜も働かせてもらっている」と。そして、「働くことで正気を保っている」と言った。「働くこと」がそういう風に使えるのかと、不謹慎ながら感心してしまった。

「もう十分働いたから、、、、」

 長年一緒に働いた仲間とは、最近は仕事というより遊ぶだけである。ジジイたちの話は、ほとんどが思い出話だ。そしてあと何年働くのか? という話もするようになった。仲間の一人が言った。「もう十分働いたから、あとは若いやつらに任せようぜ」。働かなくなったら何をするんだ? 「本を読んで映画を見てゴルフをして過ごすのさ」。どこかでよく聞く話だ。そういうのであれば、こいつらは働くということをやめて、その代わりになるものを見つけているわけ? 自分を救ってくれるのは本や映画やゴルフなのか? 働くってお金のためとか、そういう意味なのか? もちろんお金は大事だが。

 うちの母はガンである。幸い治療はうまくいっていて、入院する必要もなく、週のほとんどは妹の商売を手伝っている。治療を始めると聞いたとき、担当医には、入院しない程度に副作用の少ない抗がん剤を希望した。母は僕が生まれる前から働きづくめで、働くことが生きがいだ。治療を始めたときに、僕は母にこう言った。「元気ならずっと働いてください。できれば働きながら前のめりに倒れてください」。母もそうしたいと言った。

僕もそうしたいと思っている。はたらくってそういうことだと思っている。

雑誌業界で25年近く仕事してきました。書籍も10冊近く作りましたが、次の目標に向かって、幅広いネタを書きためています。面白いと思ったらスキをお願いします。