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マルハチマルハチ 船員に告ぐ。

息子が小学校入学1週間後、家のエレベーターの中で泣き崩れた日のことを忘れられない。
汗だくで全身で泣くあまり立っていられず、まさに膝から崩れ落ちて慟哭した。


賑やかに買い急んだ重たいランドセルは投げだされ、まさらの黄色の帽子は黒く、服は捲れ上がり重い冷たい布生地と化した。
あれは絶望の姿だった。
一体なにがそこまで君の事を、と、あの日からわたしは戸惑いと焦燥感に追われた。


息子を、幼少期から変わった子だと感じることはしばしばあった。

乳児期は喜怒哀楽の表現が薄く、しかし眼だけは黒々と光り全てを理解しているような気がしていた。
ただ眺めている、眺められ熟考されている。
とてもじゃないが、よくあるような、自分の所有物のような気はしなかった。
明らかに自分とは違う存在感に、わたしはこの子を測りかねた。


わたしは彼から反応を引き出そうと躍起になって連れ回した。偉大なる存在の、人らしさを感じたい。
それはことごとく予想に反する呼応として、わたしに返ってきた。

人混みでは熱を出すか寝ていた。しかし一度興味を持つと飽きるまで何時間もかけて経験を欲した。


当時、モンテッソーリとシュタイナーを出来る範囲で取り入れ、手製のおもちゃ作りに勤しんだ。
彼はそれらの全てを気に入ったわけではないが、それでも少しでも関心を持たれるとわたしは安心した。

そして幼稚園に入園する頃、わたしは自分の時間ができて、仕事を再開した。
その園は、良質な土をわざわざ遠方から買い運び、中央にツリーハウスがあり、あひるやニワトリ、ウサギがクラスに遊びにくるようなところで、ここなら息子を任せられるとおもった。

卒園年に進めた入学準備を、わたしは嬉々と率先して行い、それは今思えばなにかを振り切るような、迷いない時間だった。


正直に言うと、入学後は試練だとおもってはいた。6年間とは、その想いを抱くに、長過ぎるほど十分な時間だった。

けれどこんなに早くその時が来るなんて思ってもいなかった。


いつも彼はわたしの想像を蹴散らし、手のなる方へと何歩も先へ進んでしまう。
追いつくのに必死なわたしは、学校、友達、大人の中に理由探しの旅に出た。


1年と少し、旅をして周り、ついに終わりを知った。
旅の答えはあった、しかしそれはもうどうすることもできない、何オクターブも上のオタマジャクシなのだった。


そのオタマジャクシは、わたしが子どもの時から感じていたものでもあり、今なお、ある。

わたしは息子の姿に、同士の炎を見ていた。
だから、躍起になって火消しに回ったが、その時すらも、この炎が鎮火しないことをどこかでわかっていた。教育支援センター、担任面談、それらほとんどの旅には、いまは意味がないことも。



2回目の夏休みも、喉から手が出るほど待ち望んでようやく入った。
この時期、息子は穏やかで可愛い顔をする。
夫もそれに気がついている。
そしてわたしは、その旅を今は辞めるジャッジを先日、下した。想定以上の反発を受け、多くの人の化けの皮が剥がれ、その下のレゴブロックのような顔に、わたしは興ざめした。
もはや充分すぎるほど、話し説明の時間も設けた。これ以上言葉なんてない。原因を、理由を求める旅は終わったのだ。

ただ楽に流れ、レゴブロックの指示に従っていた自分にも、別れを告げる時がきた。覚悟をしろと。



わたしたちはなんの因果か、パワーショベル一杯の土から1つの微生物だけを見つけ出すよりも、さらに低い確率で、ここに家族として存在できている。
この絆にこれ以上のエビデンスは不要だ。


マルハチマルハチ、只イマを以て、我が家族はレゴブロックからの離脱を宣誓する。
我らの持つものは愛と希望と、現実。
充分に、夢を描けると信じ、ただ行かないことを見守る航海に出る。


船員3名、その使命は
心に決めた持ち場を離れず
如何なるときも前方を見つめ
その風を見極め帆を晴り
この海原に漕ぎ出し、生き抜くこと

以上も以下もこれのみである。

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#夏休み #不登校 #平成最後の夏