父の部屋で、短歌集を漁っていたときに、変色した冊子を見つけました。
JR東日本の車内誌「トランヴェール」に掲載された記事がまとめられていて、「ちょっと気になる駅」というコーナーに掲載された父の記事が載っています。
1993年12月号に掲載された記事で、当時父50歳。
(そうかーこの時って、そんな若さだったのか・・。)
今回読み返した文章の中で、父っぽいなあと感じた箇所は、太字の部分↓
この傷だらけの旅の間、ずっと思い続けたことがある。今回の場合は自業自得のにわか障害で、喜劇でしかなかったが、もし自分が年を取ったり本当に障害を抱えて旅をしたら、それがいかに大変かということである。私が出会った人々は皆本当に親切で、これ以上の親切を日常他人から望むべきではない。日本はまだまだ思いやりの「ソフト」に包まれているというのが実感である。
なんというか、親切を感謝するだけでなく、自力で何とかしなくてはならない、という部分が。
わたしだったら、「わー、みなさん親切だなあ。いい社会だなー。」と喜んで終わってるような。
これもまた、父の座右の銘「為さざる罪」に繋がるよなー、と。
父50歳の時に書いた旅のエッセイ
以下に、全文を載せてみます。
発熱し、目と足の不自由な身になったら、休んだ方がいいと思うのだが・・。そうしない父も父だし、とめない母も母だが、それが、彼らのスタイルなのだった。