まき|アメリカでモンテッソーリ保育士

モンタナ州で現役保育士。アラフィフ。40代で初海外移住。日本では教育NPOなどで働いて…

まき|アメリカでモンテッソーリ保育士

モンタナ州で現役保育士。アラフィフ。40代で初海外移住。日本では教育NPOなどで働いてました。幸せは、笑わす、笑われる、ビール、太鼓、ジャンベ、家庭菜園、手縫い、インドヨガ、サーフィン、スタートレック、オーバーザサン。日本の海辺で学童やりたい。2024/3月HER2乳癌に。

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  • モンテッソーリ保育園での仕事や子どもたち

    アメリカの田舎のモンテッソーリ保育園での仕事とかモンテッソーリ教育についての記事です。アメリカの保育園やモンテッソーリに興味ある方に読んでもらいたいです。

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  • 膵臓癌で亡くなった父の在宅介護の記録

    2019年から2020年に、膵臓癌で闘病中だった父の在宅介護をしていた時の記事です。

  • 40代でアメリカ移住してみて、驚いたことや変わったこと

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絵心ゼロの保育士が水彩画に興味を持った話。「うまくなくたって、いい」

わたしは生まれてこのかたずっと、絵が描けない。 ちょっと分析してみると、地図も読めないし、立体的にとらえられないことが原因なような気がする。 絵を描くのは苦手だし、嫌いで、図工や美術の時間以外で描いたこともないし描こうと思ったこともなかった。 それが、モンテッソーリ保育園で働き始めて、クラスの子どもたちが、なんとも楽しそうに、絵ともいえないものを描いているのを見るうちに、気分が変わってきた。 主任の先生は「わたしはアートな人間ではない。」と断言しているので、流れでアート

    • ゆっくり歩こう、そうしよう。

      ふぅ。体力の低下を感じる今日このごろ。 ほんの2か月前まで、大雪だろうとなんだろうと片道40分毎日歩いて職場のモンテッソーリ保育園に通い、7時30分から4時30分まで座ることなく動き回っていたなんて、信じられない。 っと、3年前から体力低下を嘆いていたのか、わたし。 先週は毎日少し雪がちらついたりしてかなり寒くてほとんど外に行かなったので、今朝は、近所を散歩してきました。 鴨の親子を発見! そっかー、もう鴨の赤ちゃんの季節なのね。 毎年、職場のモンテッソーリ保育園の

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        極寒地に春が来た

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          昨年初めて埋めたチューリップがついに開花。嬉しい。

        絵心ゼロの保育士が水彩画に興味を持った話。「うまくなくたって、いい」

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        記事

          アメリカで日帰り乳がん手術3日後、結果を聞きに。ちょっと休みたい

          4月22日(月)にアメリカのモンタナ州の田舎町の癌センターで、乳がんの手術をしました。 手術が終わったあとに、とりいそぎ、執刀医の先生が手術後に夫が待っている部屋に来てくれて、「彼女の癌の状態から、手術前に想定していたケースでは最上の結果だった。ただ、彼女の胸は高濃度過ぎてたくさん白い腺があって非常に癌細胞と見分けがつきにくいので、全部取り切れたかが少し心配ではある。」ということは、聞いていました。 なので、アメリカでは4人に1人は再手術するというのも聞いていたし、まあ、

          アメリカで日帰り乳がん手術3日後、結果を聞きに。ちょっと休みたい

          アメリカで乳がん手術2日後、病院にお金の相談に行く

          アメリカで乳がんの日帰り手術をしたのが、4月22日(月)。この手術の後に決まっていた予定は、2日後の24日(水)朝に病院付きのソーシャルワーカーさんとお金についての打合せ、3日後の25日(木)に手術の結果を聞きに行く、ということでした。 24日(水)の打合せは、手術日が決まる前におさえていた予定でした。これは可能なのだろうか?と、チーム担当者の方からの電話を受けたさいに、「手術の2日後に病院に行って、打合せするってのは、いけるのでしょうか?」と確認したところ、「そうね、病院

          アメリカで乳がん手術2日後、病院にお金の相談に行く

          「規格内」で生きてきたってことに気づかされた

          自分の「喜び」、について。 3月25日に東京で乳がんと診断され、アメリカで治療することに決めて、4月1日に成田からモンタナ州のボーズマンへ戻りました。日本から直行便はないので、今回はシアトルで乗換えをしました。 シアトルの空港で売店をうろついてて見つけたのが、この、「joy(喜び)」っていう冊子。 ワークブックで、おしゃれにデザインされた質問が書かれていて、自分でこたえを書き込むという内容。 普段、あまり自己啓発っぽいのに惹かれるタイプではないのだけれど、待ち時間が長い

          「規格内」で生きてきたってことに気づかされた

          思考のくせについて考えてみた

          せっかくなので(?)、自分の思考のくせ、傾向について考えてみようかと思います。 結論からいうと、「自分を低く見積もり(自分に期待せず)」、「最悪の事態を想定する」傾向があるかな、と。自己防衛力が強いのかしら。 まず、「自分を低く見積もる」というのは、振り返ってみると、結構昔からだったような。 例えば、幼稚園のころかその前か、母からたまに顔立ちについて嘆かれたことが思い出されます。「(わたしの4歳上の)いとこが可愛らしいから子どもを産んだのに、あなたの顔って・・・。」みた

          思考のくせについて考えてみた

          アメリカで乳がんの手術をしました~入院無しの日帰りで。どきどき

          4月22日(月)に、アメリカのモンタナ州の田舎町の癌センターで乳がんの手術をしました。 わたしの癌の様子は、 ちなみに、腫瘍の大きさは、アメリカで4月2日に受けたMRIでは1.6cm×1.6cmと診断されました。 これは、マクロビと生姜湿布のおかげ?信じる者は救われる! 手術は、チーム長の一押し提案どおり、部分摘出。 今思うと、わたしの勝手なイメージ的には、アメリカの医療って、ばっさり切るという感じだったのですが、チーム長は最初から一貫して部分摘出押しで、全摘という言葉

          アメリカで乳がんの手術をしました~入院無しの日帰りで。どきどき

          乳がんになってからストレスなのはお金のこと!アメリカ医療複雑すぎ

          3月25日に東京で乳がんと診断され、東京で治療するかアメリカで治療するか迷い、最終的にアメリカでの治療を選びました。 選びはしたものの、アメリカの医療の複雑さと高額さについては、常にストレスでした。 とにかく、複雑すぎて、よくわからん! とぼやいててもことは進まない。ということで、モンタナ州の癌サポート団体のウェブサイトを見てみました。 そこで学んだことは、 ・請求は、間違いが多いので、すぐ支払わずに、正しいか確認する。間違っていたら、指摘する。 → こんな作業を、

          乳がんになってからストレスなのはお金のこと!アメリカ医療複雑すぎ

          アメリカで乳がん手術前にいただいた物~見習いたい

          日本からアメリカに4月1日(月)に戻り、MRI検査をしたり治療方針を決め、4月22日(月)に部分摘出手術をすることにしました。 その前の金曜日、19日に、妹からの荷物が届きました。メインは、先日妹夫婦がたまたま仕事で訪れた高野山の護摩札。ほかに、出汁昆布やまだまだ寒いモンタナ用に妹おすすめのレッグウォーマー、夫へのお土産で置き忘れてきた尾崎豊のギター譜面本、などなど。まずは、高野山のお札が手術前に届いてよかった! その後、落ち着いて、同梱されてた封筒を開いてみると、 な

          アメリカで乳がん手術前にいただいた物~見習いたい

          乳がんの手術日が決まってからやったこと~病院周りのトレイル散策とマイクロチップ埋め込み

          4月5日(金)に、乳がんの手術日が4月22日(月)に決まりました。 その間、なにをしていたか、というと、10日(水)に、指定された近所の薬局に薬を取りに行きました。ここでは、手術後の鎮痛剤と、手術後の吐き気止め用の耳に貼るパッチが処方されました。 そうそう、アメリカでの乳がんの手術は、入院なしです。朝行って夕方家に戻るスタイル。日本では、10日間くらい入院するようなので、ずいぶんと違うもんだなあ、と。入院なしだからベッドの空きを考慮する必要がないので、手術が比較的早く予約

          乳がんの手術日が決まってからやったこと~病院周りのトレイル散策とマイクロチップ埋め込み

          癌患者への対応~日本とアメリカの違い

          東京に一時帰国中の3月25日に乳がんと診断され、4月1日にアメリカのモンタナ州の癌センターで治療を始めました。 「日本」と「アメリカ」というとあまりにくくりが大きい気もしますが。もうちょっと正確にいうと、東京都の日本橋あたり(って、まさに東京のど真ん中じゃないですか!)の乳腺外科クリニックと、アメリカのモンタナ州のボーズマンという人口5万人(うち白人が99%)の町の癌センターで受けた対応の違いについて。 そもそも、「あれっ?」と、感じたのが、乳腺外科クリニックで、乳がんと

          癌患者への対応~日本とアメリカの違い

          アメリカの田舎町で乳がんの治療を始めた

          日本からアメリカに戻ったのが、4月1日(月)。まだまだ極寒かと思いきや、意外とあったかい!いえい!と、飛行機が1時間くらい遅れたこともあり、ばたばたと、空港に迎えに来てくれた夫の運転で、日本から持ち込んだ、超音波検査とマンモグラフィーの結果のCDと、生体検査のスライドを、癌センターに届けに行きました。 窓口で受け付けてくれた若い女性は、極めて感じよく、にこやかに対応してくれました。おーいい感じ。 そして、翌2日(火)は、わたしの治療チームの窓口となる担当者の方と顔合わせ。

          アメリカの田舎町で乳がんの治療を始めた

          乳がんになってから変えた食事とやってみた民間療法(生姜湿布と里芋湿布)

          マクロビオティックを実践している友達から教えてもらった、わたしの食事の改善法。 わたしの食事は、極端な陽性(特に肉、魚)と極端な陰性(特に乳製品)に偏っているため、中庸に戻す必要があります。 中庸な食事とは、 幼いころから、両親が好まないこともあり、「ご飯とお味噌汁」という食事になじみがありませんでした。じゃあ何を食べていたのか?というと、とにかくおかず。あとは、うどんやパスタなどの麺。 料理を作るのは好きなので、基本自炊してましたけど、1人暮らしを始めた20代から、

          乳がんになってから変えた食事とやってみた民間療法(生姜湿布と里芋湿布)

          乳がんになったのは偶然ではなかった~食生活を振り返る

          わたしが乳がんになったのは、偶然とか不運とかではなく、必然だったんだ、と素直に受け入れられたのは、ひとえに、友達のゆきこのおかげでした。 彼女は、数年前からマクロビオティックという食事法を実践しています。きっかけは、卵巣嚢腫ができたときに、切らずにすむ方法はないかと見つけたとかで、大好きだったチーズを含む乳製品を一切口にしなくなったと聞いて、驚いた記憶があります。嚢腫が消えた後にも、継続して学びを深め、資格を取ったり、教室のアシスタント講師をしたりしています。 今回あらた

          乳がんになったのは偶然ではなかった~食生活を振り返る