マガジンのカバー画像

父の在宅介護の記録

27
2019年から2020年に、膵臓癌で闘病中だった父の在宅介護をしていた時の記事です。
運営しているクリエイター

記事一覧

アメリカ生活 父の日に思う~周りに感謝できるようになった

ついに、アメリカでの自宅待機も残すは後1日! (って、アメリカ入国時に、本当にまったくなにも案内されなかったし、体温測定も、検査も何もなかったので、気を遣いながら、マスクして散歩したりはしてます・・・いいのか?!) 東京に比べて、人口的にはぐーんと小さな町だけれど、今日のコロナ感染者数300人超えてます。 先週までは、200人台。(←この数字でも、結構、青ざめてましたが、だんだん慣れてしまった感ありの今日この頃・・・・いいのか?!というより、大丈夫なのか?!) そんな

日本に帰国中 膵臓癌で亡くなった父の49日目に思うこと(肉とショパンと大トロ)

今日は、父がすい臓癌で亡くなって、49日目。 ここのところ、TEFLの勉強と、母の引っ越しの手続きや家具とか皿とかの処分などをしてました。 先週、義弟ウッシーの頑張りで、まさかの、箪笥が3万円で売れた! (500円って値付けした買取業者もいましたが、粘ってくれたウッシーありがとう!) なぜこんなにばたばたと引っ越ししなきゃいけないのかというと。 家族誰もがまったく想定してなかったんですが、父が亡くなった後、父名義で借りていたマンションの管理会社に名義変更を依頼したとこ

膵臓癌父の介護中に読んで励まされた樹木希林さんの本~どうぞ、物事を面白く受け取って愉快に生きて。

すい臓癌で闘病していた父を介護していたとき、本屋で見つけてふと手にした本があります。 「樹木希林 120の遺言」です。 「遺言」という文言にひかれ、パラパラとページをめくってみると止まらなくなり、購入。 それまで知りませんでしたが、樹木希林さんは父と同じく1943年生まれで、2018年9月に癌で亡くなりました。 その希林さんの、過去の発言をまとめた本です。(とにかくかっこいい!) 癌で亡くなった樹木希林さんの名言たち私が付箋を貼った箇所を、書き留めておこうと思います

父と愛人チワワの短歌を読み解く(恋よ修羅場よ爆破してくれ!!)

父の遺した短歌を読み進めています。 父の短歌のお仲間から、「毎月発行している短歌誌に掲載された10首、詠んであげて下さい。歌は本音が出ます。奥深く読みとれますよ。」とお聞きしました。 父の参加していた短歌会の同人誌「熾」。提出してから掲載されるまで3カ月か4カ月間のタイムラグがありそうです。 時事について詠んだ歌が多く目につくものの、ちょこちょこと、日常生活についての歌もあります。 子犬ハル三年密に暮らしてはもう愛人の如くになりぬ みたいな。 飼い犬(愛人)ハルを

日本に帰国中 父50歳、旅のエッセイに父の生き様を垣間見た件

父の部屋で、短歌集を漁っていたときに、変色した冊子を見つけました。 JR東日本の車内誌「トランヴェール」に掲載された記事がまとめられていて、「ちょっと気になる駅」というコーナーに掲載された父の記事が載っています。 1993年12月号に掲載された記事で、当時父50歳。 (そうかーこの時って、そんな若さだったのか・・。) 今回読み返した文章の中で、父っぽいなあと感じた箇所は、太字の部分↓ この傷だらけの旅の間、ずっと思い続けたことがある。今回の場合は自業自得のにわか障害で

大切な人(父)を亡くした経験からの学び~この先変わるだろうけど、”今”どうしたいのかを考えるってのが大事

2019年の年末に、東京駅の丸善で数冊買い込んだ中に、「日本で老いて死ぬということ」という本があります。 今回の滞在中に、たくさん本を買ってしまったこともあり、すっかり忘れてました。 2013年11月から朝日新聞の神奈川版で「迫る2025ショック」という2年半続いた特集の記事がまとめられた本です。 記者が、主に、高齢者医療・介護の実態や、在宅医や訪問看護師、介護職員の方々の姿を、取材されています。 この本を本屋で見つけて、パラパラとめくってみたところ、なんというか、父

日本に帰国中 母の引っ越しを終え、父の「終の住処」でしみじみ過ごしてます

母が先日、5月19日に近くのマンションに引っ越しました。なので、わたしは、両親が住んでいたマンションの退去日、6月3日まで、1人で居座ることに。 家具はまったくない状態なので、がらーんとした居間で、床に座って、布団の上にパソコンを置いてブログを書いてます。(開脚ストレッチになるので、結構おすすめ!) さて。 なぜ、母は引っ越ししたのか? 母のお引越し父が亡くなってから、妹とは、「父の名義で賃りているマンションを、母に名義変更してしばらく住みながら、この先どうするか考え

亡くなった父と親しかった方々と話して思うこと~Human-being。Not human-doing

春爛漫。 これを天国というのか!と、自由・解放・快適感を満喫した葉山での1週間を終え、世田谷の両親の住処(父が亡くなったから、母の住処)に、昨日、戻ってきました。 い、息苦しい・・・。 何かと気ぜわしい東京だからか。 寝たきりになった父と3カ月過ごした場所だからか。 幼少期から合わない母と2人だからか・・・・・。 なんてことをつらつらと感じつつも、先々週に、今の賃貸マンションでは、父から母へ名義変更をすることができず、さっさと退去しなくてはいけないということを知り

日本に帰国中 膵臓癌で亡くなった父との思い出の場所は、パリでもオペラでもない

父は、11月に膵臓癌を再発し、12月にもうこれ以上できる治療がなくなってしまい、緩和ケア病棟にうつるか家に帰るか、という状態になりました。 ここで、ほんとに勝手にさっさと年明けに退院することに決め、バタバタと(バタバタしたのは周りの人間たち。父はぐったりと)退院してきました。 当時は知らなかったけど、「為さざる罪」は彼の座右の銘であって、私の座右の銘ではない!ぶつぶつ。 介護って、自分がやることになるとは、これっぽちも想像してませんでしたが、きれいごとではない。 とに

日本に帰国中 母と過ごしながら違和感を覚える理由を考えてみた

父が膵臓癌を再発し、なるべく早く帰国して欲しいと連絡を受け、日本に帰国したのが12月12日。 それから今まで、基本的には両親の住処で過ごしています。 (たまに、葉山の妹夫婦宅にお世話になっています) 人生において、父とこんなに長い時間を一緒に過ごしたことはなかったなあと、父の生き様について振り返ってみてました。 関連記事: と、特に幼少期には、父とよりは一緒の時間を過ごした母との生活は、違和感を覚えることが山盛りです。 なんで、こんなに相性が合わないのか?考えてみまし

日本に帰国中 膵臓癌父が再入院&容態が変化してしまった昨日の出来事

11月に膵臓癌が再発し、入院してしばし治療していた父が、残念ながらもう治療がなくなり、1月8日に退院してきました。 しばし、低位安定していた父の容態が、変化してしまいました。 ドレーンチューブに不具合が出てきて、痛みが発生ここ1、2週間、腸液を体外に出していたドレーンチューブの周りから、かなりの量の腸液が漏れ出てきてしまうようになっていました。 ガーゼに漏れ出した腸液が、チューブを通すために開けている穴に触れていたため、穴の周りが炎症を起こしてしまい、「痛い痛い」と言い

大雪ホワイトデーに亡くなった父との生活で驚いたこと

すい臓癌で闘病中だった父が、ついに、3月14日ホワイトデーに亡くなりました。 あり得ない暖冬で、一度もセーターを着ることもない中、突然、東京に雪が降りました。 (寒い寒い雪の日で、「まきの涙か、と思った」と、いつも気にかけてくれていた先輩からメッセージをもらいました。) 父は結構急に脈が弱くなってしまい、病院から連絡を受けて駆けつけましたが、最期には間に合いませんでした。 幸い、痛みなく、眠るように、息を引き取ったと看護師さんに言われたのが、救い。 (さらに、父の「

膵臓癌で亡くなった父は、おしゃれだったのかー

すい臓癌で3月14日に亡くなった父について、書こうと思います。 何気に「おしゃれ」だったことについて。 遺影を、妹の結婚式のときの、にっこり笑顔の写真にしたんですが、改めてみて見ると、なんともかわいいピンクの蝶ネクタイをしている! これは、妹がハワイでお土産に買ってきたものらしい。 (全然知らなかった・・) 写真の背景を選べたんですが、菜の花の写真をチョイスし、黄色とピンクがなんとも春っぽい。 このにっこり遺影のおかげなのかなんなのか、告別式も、なんかほんわり雰囲気

膵臓癌で亡くなった父の座右の銘は「為さざる罪」

父の短歌仲間である書家の川上さんから、お手紙と色紙が届きました。 闘病中にも、激励のお手紙と、「祈」という文字をいただき、壁に貼ってました。 今回届いた色紙には、「為さざる罪」とある。 「ん?なんだろう、これは?」ポチと2人で首をひねる。 その後、同封されていた手紙を拝読し、この言葉は、「お父様の人生訓のような座右の銘」だったことを知りました。 父の目指した姿は、レオナルド・ダビンチ!父の座右の銘と聞いて思い出したのが、10年前、まだ父が現役でもりもりもりもり働いて