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日本文化と女性のキャリア

久々に、大変に腹の立つ出来事があった。

人の腹の立った話を聞いてよい気分になる人はほとんどいないと思うけど、これは女性のキャリア形成にもかかわる話で、きっと似たように悔しい思いをしたことがある人もいるのではないかと思う。

noteという、想いを言葉にして発信することを応援しあえるこの場を借りて、今回の出来事を振り返ってみることにした。

仕事探しを始めた

これまであまり大きな声で語ってはいないけど、わたしはnoteで発信している英語講師や、日本文化の海外PRの仕事だけで生活しているわけではない。

3Dプリントサービスを提供しているベンチャー企業から、英語を使った制作進行管理の仕事を請け負ったり、

和のテイストを取り入れたアパレルブランドで、接客販売・広報のアルバイトをしたりと、

自分がやりたい「英語、国際理解、日本文化」と3割くらいは関わりがあって、あと7割は「やりたいことではないが、能力を活かして貢献できる」お仕事を企業などからいただいている。

「能力を活かして貢献できる」割合の高い仕事で、いわゆるベーシックインカムを整えたうえで、

うまく時間をみつけて、「やりたい」度合いの高い直接契約の英語講師や、日本文化の海外PRの仕事をしている。

今年の2月末、これまでベーシックインカムにしていた取引先が契約終了になってしまい、新たな仕事探しを始めていた。

そんな折、英語指導をしていた生徒さんが4月で海外転勤、卒業されたので、かなり手が空いた。

仕事の候補に、正社員や契約社員など、フルタイムで企業に雇用されることも含め始めていた。

ことの発端は、知人の紹介

ハローワークや転職エージェントにも相談しつつ、間口を広げるために信頼できる知人にも、仕事を探している人がいないか声をかけていた。

するとそのうちのお一人が、自身の派遣先の大手傘下企業が、英語のできる事務員を探しているとのことで、ぜひ受けてみないかとお話しをいただいた。

ことはとんとん拍子に進み、現場社員との面談までに至った。

面談は、課長職の方と、スタッフ職の方の2人とだった。

なごやかな雰囲気で社員の方と打ち解け、また私の経験や能力をとても必要としてくださっている印象を受けた。

これまで事務員は派遣会社から来てもらっていたが、友人紹介制度を新設し、派遣会社を通さず直接契約で採用しようという話が出ているところで、私を第一号でどうかということだった。

中間フィーを取ってもうける派遣会社には、私はあまりいい印象をもっていない。

そういった派遣会社を避けて直接契約を目指すとは、大手傘下企業なのにとても柔軟で良い会社だと思った。

社員さん側も私も、ぜひ一緒に働きたいと希望が一致し、会社上役との相談で採否を決めることとなった。

紹介してくれた方も、「前々から英語のできる人を探していたので、採用は決まったようなものだ」と太鼓判で、私もぜひお役に立ちたいと、わくわくしながら返事を待っていた。

ところが、送られてきた結果は

採用見送り。

ここまでお膳立てされたうえでの不合格だったので、すっかり拍子抜けしてしまった。

結果連絡メールによると、派遣会社を通してであれば、採用の可能性はあるとのことだった。

また、紹介してくれた知人によると、直接契約に前向きだった上役さんが4月に異動してしまったとのこと。

・・・これが日本の大企業の限界なのだろう。

面談を担当した課長職の方は、上役の説得をかなり頑張ってくれたはずだと思う。

面談中、私の採用が有利になる情報をたくさん集め、不利になりそうな情報、例えば年齢などにはあえて触れないようにしていた。

なんとか頭を使って私を採用したい、紹介という新たな制度に実績を与えたいという気持ちが感じられ、仕事のできる人という印象だった。

そういう人の、筋の通った主張が通らない日本社会・・・

たしかに、これまで派遣でスタートして頑張って直接雇用になった人と不平等感が出てしまうという意見はあるかもしれない。

しかし、会社組織は変化していかなければ生き残れない。

派遣から社員になった人であっても、自分の所属する会社がこれまでと同じこと(=ここでは派遣会社からの採用)を続けているのに文句を言うほうが筋が通っている。

せっかく紹介で入ってきた人を、わざわざ派遣会社に押し込むというのは、「うちは利益はいりません」と言っているようなものだ。

馬鹿らしい。

こういうふうに、正しく広くものごとを見れる人ほど、損をするのが日本社会なのだ。

日本の悪しき因習

そもそも私が「日本文化の海外PR業」を始めた理由に、幼いころから日本の文化になじめず、日本文化とは何か、冷静な目で見つめ続けてきた経験を活かしたい

という思いがあったのだが、日本文化を見つめれば見つめるほど、日本が嫌いになる要素がてんこもりである。

和を貴ぶあまりに、

物事を筋道立てて考え、そうして形成された意見を他者に向けて発信する、そして他者から発信された意見を吟味し、よいものであれば受け入れ自身が柔軟に変化する

という、自立した一人の大人として当たり前(だと、少なくとも私は思っている)のことが後回しになってしまうのだ。

私は和を大切にするのが悪いと言っているのでは決してない。

和を大切にする日本人の素質は、戦争を避け、世界平和に通ずる価値のある、他に代えがたい財産だ。

だけど、誰もが発信できるインターネット時代が到来しすでに10年以上、個人個人がそれぞれ異なり、違う意見を持っているというのは、もはや誰もが認めざるを得ないところまできている。

個人個人がしっかり考えて、意見をぶつけあうことで生まれた新たなアイデアを実行して、柔軟に変化していかなければ、国際競争力は下がる一方だと思う。

日本社会にはびこる悪しき因習でキャリア形成のチャンスを失い、ふつふつと怒りがわいてきた。

同じように悔しい思いをしたことがある人たちの経験談を聞いてみたい。



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