【それでもあきらめなかった偉人たち】アレクサンダー・グレアム・ベル

こんにちは!

前田です。

数回にわたって、
『それでもあきらめなかった偉人たち』
をテーマに、偉大な先人たちから学んでいこうと思っています。

今日は、この方のエピソードを見ていきましょう。

彼の作った電話会社は当初、運営に行き詰まり、10万ドルでその権利をウェスタン・ユニオン社に譲ると申し出た
その申し出は
「電気のおもちゃを作る会社で何ができるのかね?」
と冷たく拒否された
後のアメリカ合衆国最大手の電話会社AT&Tの創設者

アレクサンダー・グレアム・ベル
(Alexander Graham Bell)

世界初の実用的電話の発明をした、アレクサンダー・グレアム・ベルのエピソードでした。

今では、スマートフォンは完全に生活の一部となりました。
そのスマートフォンの前進は携帯電話であり、携帯電話の前進は固定電話です。

この固定電話を初めて実用化し、特許を取得して商業化したのが、アレクサンダー・グレアム・ベルです。

そして、エピソードに登場するウェスタン・ユニオン社とは、電信(電報)を扱う会社だったようです。

以前、エジソンについて書きました。
エジソンが電気を生活に利用することを加速させたことで、人類の生活レベルも一気に加速しました。

この電気を利用したものの一つが、「電気信号を使って、遠方の人にメッセージを送る仕組み」が電信(電報)だったのです。

当時の人からしたら、画期的だったことでしょう。

それまでは手紙で何日もかかっていた情報伝達が、電信の登場で、一瞬で遅れるようになったのです。

電話線さえ引けば、世界中のだれとでも繋がれる。
まさに世界を小さくするような発明でした。

しかし人間とは、ときには慢心してしまう生きものです。

電信があまりに便利だったがゆえに、会話することができる電話の将来性を見抜くことができなかったのです。

「現状維持は、後退である」

とよくいいます。
成長している企業だとしても、その伸び率が市場成長率より下回っていたら、相対的には後退してるとも言えるのです。

どんなに絶好調でも、常に自分を戒め続けること。
そして常に次の一手を打っていくこと。

このことを忘れてはいけないでしょう。

また、アレクサンダー・グレアム・ベルは、科学分野に与えた影響もとても大きいです。

彼が設立したAT&T社はやがて、ベル研究所を設立します。
このベル研究所の絶頂期は凄まじく、なんと7つものノーベル賞を獲得しているのです。

1937年、クリントン・デイヴィソンは(レスター・ジャマーと共に)物質波の性質を確認したことでノーベル物理学賞を受賞。

1956年、ジョン・バーディーン、 ウィリアム・ショックレー、ウォルター・ブラッテンは、トランジスタの発明でノーベル物理学賞を受賞。

1977年、フィリップ・アンダーソンは、ガラスや磁性物質の電子構造の研究についてノーベル物理学賞を共同受賞。

1978年、アーノ・ペンジアスとロバート・W・ウィルソンは、宇宙マイクロ波背景放射を発見し、ノーベル物理学賞を受賞。

1997年、スティーブン・チューは、レーザー冷却により原子を捕獲する技術の開発でノーベル物理学賞を受賞。

1998年、ホルスト・シュテルマー、ロバート・ラフリン、ダニエル・ツイは、分数量子ホール効果の発見により、ノーベル物理学賞を受賞。

2009年、ウィラード・ボイルとジョージ・E・スミスは、チャールズ・K・カオと共にノーベル物理学賞を共同受賞。ボイルとスミスの受賞理由は、撮像半導体回路であるCCDイメージセンサの発明。
(引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80)

チャレンジしていると、そのチャレンジを否定してくる存在は、どうしてもいます。
いわゆるドリームキラーという存在です。

しかし、そんなドリームキラーの存在に惑わされてはいけません。

もし、アレクサンダー・グレアム・ベルがいっときの批判に挫けていたら、電話、そしてスマホの登場ももっと後だったかもしれません。

また、ベル研究所もなく、偉大な研究成果の数々も生まれなかったかもしれません。

批判や否定は、進化に必要な進化圧だと言っている人もいます。

私も、もっと自分に圧をかけ、なにがあっても前進するタフさを身につけ、チャレンジし続けていきます。

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