最愛の猫の一周忌に向けて 3

あっという間だった1年。もうすぐ12月8日がやってくる。
亡くなってしまった時はとても悲しくて、世界が終わってしまったんじゃないかと思うほど泣いて、家に帰ってモカの面影を感じて泣いて、夜になって写真を見て泣いて。
とにかくずっと泣いて泣いて過ごしていた。
あんなに忘れない、忘れたくないと強く思っていたのに少しづつ少しづつ「モカがいない日常」に慣れてきてしまう。
そんな自分も、家族も嫌だった。

お別れの日はあっという間だった。
ある日母から「モカの元気が何となくない。ちょっと明日病院に行ってくる」と連絡があった。
以前患った尿路結石を5年近く療養食を食べながらのんびりと闘病していた為、「元気がないのは心配だけれどすぐ良くなるだろう」とたかを括っていた。
しかし、予想に反して母から来た連絡は「腎臓の数値が非常に悪い。以前もあまり良くなかったがその時に比べて3倍になっていてこれから毎日点滴に行く。」と連絡があった。
そこで一気にモカの体の現実を知り呆然とした。
"小さい動物は心臓が人間よりも早いから、血の巡りも早くて人間よりも早くいなくなってしまう"と昔親から教えられたことがあったが「その日」がそんなに早く近づいてきてるとは思ってもいなかった。

元々モカは人見知りな事もあり、病院があまり得意ではなくいつも帰った後はしょぼんとしている事が多いのだがその日は特に元気がないように見えて余計に悲しさを感じた。
その時はまだ「毎日点滴に行けば大丈夫」という安心感があった為そこまで深刻に捉えていなかった。

しかし、次の日に病院に行くと病状が更に悪化しており水も飲めず尿も出ない状態になっていた。
病院で採血とエコーの後、先生から呼び出された。「腎臓が詰まっているか既に機能しておらず開腹手術もできるが年齢的にはもう難しい。またカリウムの値も高くて心臓が突然止まる可能性もある。」との事だった。正直この話を聞いている時の私はあまりのショックに泣き崩れて、話をまともに聞くことができない状態で後に母が病院に再度出向いて内容を確認してきてくれた。
そんな中で言われた「ご家族でどこまでできるかを話し合ってください」という言葉がずっと頭の中をグルグルしていた。

「どこまでできる」とは何だろう。モカは家族だ。
できる事なら全てしてあげたい。苦しくないようにしてあげたいし、ずっと生きててほしい。
これが家族全員の願いだった。

次の日私は仕事に行き、母がモカを病院に連れて行ってくれたが正直仕事にもほとんど身が入らなかった。
母から来た連絡は「外科手術でつまっている部分を切除人工のものに変えて腎臓と膀胱を繋げて尿を出す方腎臓から人工の尿管をからだの外に出してそこから尿を外に出す方法がある。しかし、手術をしている際に心臓が止まる可能性は非常に高い」との事だった。
父は「少しでも生きられる可能性があるなら手術をしたい」
母は「苦しくないなら家でゆっくり看取ってあげたい」
最後の決断は私に任された。

職場で給食の配膳をしている時に連絡が来てこっそり電話を取り、「モカはずっと頑張っていたから、苦しくなければ手術はしなくていい」という結論を泣きながら出した。
涙が止まらず仕事にならない為、職場に事情を話して早退させてもらったが事情を話した瞬間に泣き崩れてしまい職場の方々にも迷惑をかけたと思う。
職場は快く早退と次の日の有給申請を受け入れてくれた。
あの時無理をしてでも帰らずに一緒に過ごしてなかったら、きっと一生後悔をしていたのだろう。

帰宅後、モカの様子を見るともうすでに歩けずにじっとうずくまっている状態だった。
その姿を見た時に「もうお別れが近いんだな」と弱いながらも覚悟を決めた。

そして次の日の早朝家族から「モカの息が弱くなってきてそろそろ危ないかもしれない」と起こされて母の布団に集まった。
もう動けなくなり、意識も朦朧としている様子の
モカ。
家族で泣きながら撫でて励まして「頑張ったね」と声をかけた。
少しずつ少しずつこの世からいなくなってしまう姿がどうしても辛かった。

父も母もどうしても仕事が休めず、家にいるのは私だけだった為日中はずっとモカにつきっきり
だった。
「目を離した瞬間に息を引き取ったらどうしよう」と怖くてまともにトイレにも行けなかった。
しかし、人間は猫といるといつも心地よくなってウトウトとしてしまう生き物だ。
気づいたらモカの暖かさとふわふわさにやられて、寝不足を解消するかのように4時間近く途切れ途切れで睡眠を取った。
どうしてもトイレに行きたくなった時はほんの2.30Mの距離にあるトイレまで小走りで行った。
きっとモカには、最後まで忙しない人間だと思われていた。

私の手の上でぼんやりとしているモカ
もう目も見えず耳だけ聞こえてる状態との事だった
トイレに行った先に戻ってきたら
母の服に顔を埋めていたモカ

何度も何度も息苦しそうな姿を見て「もうダメかな」と何度も覚悟を決めた。
しかし、予想に反してずっと頑張り続けていた
モカ。
母が帰ってくるのを待って、父が帰ってくるのも待っていた。
母は家に帰ってきた時に行った「朝仕事に行く時にもうダメかなって思ったんだ。でも、待っててくれてありがとう。」と。
少し呼吸を苦しそうにしながらも、頑張っていた
モカ。
遠く離れた地にいる弟の事も待っているのかもしれないと思って電話をかけた。
しかし、思いは届かずにモカは最後を迎えた。

獣医さんから「もう目は見えてないけれど、耳は最後まで聞こえていますからね。」といわれた言葉を信じて、ずっと「うちに来てくれてありがとう。みんな幸せだったよ。我が家の子になってくれてありがとう。ずっと大好きだからね。忘れないからね。」と声をかけ続けた。家族も私も全員泣いていた。

その後に何度も「ああすれば良かった」「もっと早く病院に連れて行けばよかった」と泣きながら話したが、結局最後は「やっぱりモカがうちの子でよかった。可愛い。」で終わった。
最後まで我が家に「可愛い」をもたらしてくれたモカ。素晴らしい存在だったと思う。

終わりに

あっという間に1年が経ってしまい、時に思い出して泣いて写真を見て懐かしくて可愛くて微笑む日々がまだまだ続いている。
その一方であんなに可愛いくて、大事にしようと思ったら存在ですら1年が経つと徐々に生きた記憶は無くなってしまう。 
たくさんの「可愛い」が私の記憶の中にはある。
でもこれらも少しずつ生きた記憶ではなく写真や動画で見た記憶に置き換わっていくのだろう。
その事実がたまらなく悲しくて悔しい。

どう鳴いてたかな、どうご飯を食べてたかな、家であんな風に遊んでいたな、寝る時はいびきをかくことが多かったな、暑い日にエアコンをつけてあげたのに涼しくなったタイミングで窓際に行くな、よくジャンプに失敗してソファーからずり落ちてたな
おでこからメープルシロップみたいな甘い匂いがするのが好きだった
沢山あって大事にしていたモカの思い出が全部
「過去」になってしまうのが悲しい

12年も一緒にいたのに少しずつ忘れていく自分が
嫌でたまらない時もある。
でも、どこに行っても「モカ」は自慢の猫で最高に可愛くて愛らしい存在なのだ。
きっと可愛いから天国でも人気なんだろうけど、
我が家はモカが帰ってくるのをずっと待っている。

本当に我が家に来てくれてありがとう!
12年間みんな幸せで、笑顔が絶えない日々で家族みんなの自慢の猫だった
ずっと待っているからまた帰ってきてね。
どこにいっても世界で1番可愛いよ!

世界一大好きだよ!
ありがとう!

この記事が参加している募集

猫のいるしあわせ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?