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◤書きたいことを、書く◢ YouTuberに学ぶ、自分軸。[#55]

「わたしが書きたいことって、いったい何?」

定期的に、こういった“原点”を見失っている感覚に襲われることがある。

noteに限らず、SNSでも、“何か”を表現する時、必ずと言っていい程、「よく見られたい」精神が働く。
「こういったテーマだったら読んでくれるかな〜」とか「こう言う表現の方がカッコいい?」とか。
わたしのそのセンス自体ズレている感は否めないが、そういった感情(思考というより感情)を連れながら書くことがある。
最近よく耳にする言葉を使うと、「他人軸で書いている」、そんな感じだ。
文字通り「軸がズレた」「ブレブレ」の文章が並ぶ。

そして、こういう感情が閾値を超えると、冒頭の疑問符が出てくる。

タイトルからして読みたくなった書籍。

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今回この疑問符が出てきたのは、YouTubeを見ている時だ。
2~3年継続的にチャンネル登録しているYouTuberが何名かいる。
なぜその方たちを、それだけ長いスパン登録しているのか。
それは、その方たちは、わたしがチャンネル登録し始めた当時から発信内容にブレがないからだ。
チャンネル登録者数数千人、数万人の時から、ずっと同じ考え方、同じ気持ちで発信を続けている。そして、着実に登録者数を伸ばしている。
「自分の好きなことや思い」を「好きなんです!」「これ良いでしょ!」という気持ちで全面的にぶつけてくる。
その一貫して、全力で訴えかける気持ちに惹かれている。

発信し続けていたら、気持ちにブレがなければ、自ずと人は惹かれるのだ。

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いつかの記事でも書いたが、わたしは人生も「他人軸」を生きてきたように思う。
「誰かの顔色を窺いながら発言する」
「親がこう言うだろうからこうしておこう」
進路に関しても、良くも悪くも他人軸で決めていた。例えば、「“アイツ”を見返すために、○○へ」みたいな感情だ。まあ、そのおかげで勉強が好きになり進学校にも行けたし、現在まで繋がっている友だちにも出会えた。
その後も「あの子が」「あの人が」が、原動力になっていたりする。結局最後に決断したのは自分自身だから、その後に起こることの原因は自分なんだけれど。
理由を説明するときに「他人」が主語になることは、よくよく考えると不自然である。

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今は自分軸で生きる練習中。いろいろズレた部分を直している。
でも、まだまだ不安定ですぐに引き戻されてしまう。

本でもネットでも、芯のある女性が好き。
そんな芯のある女性に、私もなりたい。

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