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ついつい子どもに口を出してしまう母、カニに教わる。

今カニを飼っている。おそらくモクズガニというカニで、先日川で捕まえてきて、水槽に濾過フィルターを設置し、隠れ家を作り、飼い始めた。
カニはやたらと脱走するので、蓋の隙間を無くしたり、脱走すれば捜索したりと、なかなか手間がかかる。

しばらく悪戦苦闘して、落ち着いてきたかなと思っていたら、今度は濾過フィルターの中に入り込むようになった。
濾過フィルターを伝って脱走するんじゃないか、はたまた濾過フィルターの奥に落ちて死んでしまうかも、などと気になって仕方がない。
日に何度も水槽をチェックし、入り込みそうになっている時は救出するというのを繰り返していた。

ある時ふと、そのまま救出しなければ、カニはどうするんだろうと思って、一晩放っておくことにした。厳しい自然界で生きていたカニが、自分でみすみす危険な場所に入り込むだろうか?案外危険を察知して、それ以上奥には行かないかもしれない。朝になったら出て来てるかも…。
翌朝水槽を覗いてみると、予想通り、カニは濾過フィルターから出てきて、水槽の中で元気にハサミを振り回していた。

つまり、カニは逃げる為に濾過フィルターに入り込んだというよりも、その隙間が隠れ家のように落ち着くから、そこにいたのだ。
私が余計な心配をし、箸でつついて、水の中に戻していたのは、まさしく余計なお世話だったのだ。

私はカニの飼い主として、カニのことを分かったつもりで、色々と手をかけていたが、カニはカニでそんなお世話は必要としておらず、自分の心地よいように、自分で居場所を見つけて生きていたのだ。

待てよ。これは何かに似ている。
これって子育てにも言えるんじゃないだろうか。

このところ、中学生の長男に、スマホや勉強や生活リズムのことで、ついつい口を出さずにはいられない。 

「スマホ、見過ぎだよ!」
「早く寝なさい!」
「先にやること済ませなさい!」
「床で寝ない!!」

私の思う「こうした方がいい」を押し付けてしまう。もちろん、良かれと思ってだ。
でも、彼はもう中学生だ。
カニが自分の心地よい居場所を自分で見つけるように、自分の心地よく生きる術は自分で見つけていくのだ。

帰宅したらずっとスマホを触っていることも、先に遊んで課題は後回しなのも、勉強する前に床で寝てしまうことも、とても気になる。
できなかった課題を早起きして終わらせたりしていて、親としては、もっと早く取り掛かればいいのにと言いたくなるのだが、彼にとっては、それが自分の選んだやり方であり、不都合があったのなら、その後で自分で立て直せば、それでいいのだ。
親の私が口を出すことは、余計なお世話でしかない。様子を見ていて、助けが必要な時に声をかけるくらいがちょうどいいのだ。

そして、同時に気付いたことがある。
私はカニの脱走や、挟まって死んでしまうことを心配していたのだが、その一方で、自分が苦心して拵えた「カニの水槽」の中に、「自分の理想通りにカニがいないこと」が嫌だったのだ。
自分の思い描く「カニの水槽」にしたくて、カニを引っ張り出していたのだ。まるでフィギュアを並べるみたいに。

それは子どもに対しても同様で、自分の思い描くような理想の子どもにしたいが為に、あれこれ口を出していたのではないか。
ちゃんとしている子どもを見て、自分が安心したかっただけなんじゃないか。

子どもは子どもなりに、疲れた自分を癒したり、物事の優先順位をつけたりしている。
それを無闇に邪魔するのは、カニをフィルターから引っ張り出すのと同じなのだ。
きっと彼も、自分のタイミングで、フィルターから出てきて元気にハサミを振り回すのだ。

カニも子どもも、並べて鑑賞するフィギュアじゃない。思い描いたような振る舞いはしない。理想通りには動かない。
当たり前のことを、ちっぽけなカニが教えてくれた。

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