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記念日とかクリスマスとか

世の中には記念日という、何てことのない日のくせに自分(たち)で特別な日に指定して、特別なことをするのを良しとする日がある。

結婚記念日、付き合った記念日、クリスマス、バレンタイン…もっと細かく記念日を指定しているカップルも居れば、記念日なんぞ気にしないというカップルも居るであろうが、私は記念日を推奨したい人である、と同時に、そんな‘’まやかし‘’に振り回されてたまるか!とも思っている。
※(記念日なんてその人や世間が勝手に決めたルールに乗っ取った日なのだから、自分で自分にかけた暗示みたいなもので、「記念日なのに〇〇しなかった」や、「どこにも行かなかった」、「何もしなかった」という負の感情をもたらす感情コントロールの敵になりうるから。)


記念日を推奨したいというか、「365日の中に特別な数日を作りたい」人間なのだと、これを書きながら気づいている。月に何度も特別な日があるのも困るけれど、年に数回は特別なことをする日が欲しいのだ。
その日は、イタリアンかお寿司を食べて、日頃ケチケチいていた分、欲しい服や雑貨や、KALDIのおしゃれフードを買ってみたりする。家に帰るのが面倒くさくなったら行きつけのホテルに泊まって、大浴場でまったりするのも最高だ。
そんな日を年に数回味わいたい。
そんな1年のサイクルで生きていきたい。 
そんな感じで平和に歳を取りたいと思っている。

と、同時に天邪鬼な私の心には、「クリスマスってだけで普通の日と変わらないし」「キリスト教じゃないし」という声も潜んでいる。これは単に、私の中にクリスマスが少し苦手になりそうに消し去りたい記憶があるからで、ハロウィンなんて深い思い入れもないので、私にとってはどうでもいい気にもならない日である。
私はなんとも都合のいい人間なので、そんなこんながあって私にとっての特別な日は、誕生日と付き合った日とお正月(これはただの寝正月)で、とは言いつつ、クリスマスにあやかって25日付近は泊まりがけのデートを決行してしまう。

さんざん記念日について語ったけれど、そんなのを気にせずに行きたい時にちょっと贅沢をしたり、行きたい場所に出向く生活がメンタルヘルス的にいいことも知っている。
ここ最近の私は、やんわりと2~3ヶ月に1回は旅行かショッピングかホテルに行くのが定例になりつつもある。

この文章をここまで読んで頂いた方は、
「こいつは何を大げさに言っているんだ。ショッピングもイタリアンも、何でもない日でもケチケチせずにお金を使えばいいじゃないか」
と思うかもしれない。

これは私が離島暮らしである故にで、本土にいたら月単位ではなく、もっと気軽にカフェや映画館に寄って息抜きをするとか、風船が大きく膨らむ前に少しずつガス抜きができるのだろうけれど、離島暮らしだとカフェさえ割と一大イベントなので、こうして特別な日への思い入れがより一層高まってしまう。
それを尊いと思えるから、今もうまく生活がまわっている。

だから、この記念日という‘’まやかし‘’に自らはぐらかされたり振り回されないで、いい具合のいいとこ取りをしながら生きていくのが丁度いいのだと思う。

人や世間の決めたルールを、自分が生きやすいように設定してカスタマイズして、生活のボーナスタイムを自分の心が窮屈になる前に決行しようと、今日も日本地図を眺めている。


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