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人生で一番高い買い物とマンション売却後の思わぬ副産物の話


おそらく世代的には、ファミコンやゲームボーイ世代だと思うのだけれど、私の育った環境にゲーム機類はなく、別に欲しがった記憶もない。その一方で、小学生の頃から大人が使うワープロを既に使っていた。一体、何に使っていたのか全く覚えていないけれど、何かしらパチパチ文章を書いていた。
誰に見せるわけでもない文章を。

子供の頃から、手先は器用な方だったと思う。
母親は手芸が好きな人だったから、私も一緒になってやっていた。つくることは好きだった。けれど、それを誰かに見せるのが苦手だった。そういうことが上手くできる子が、羨ましかった。
そんな性分のせいか中学生になると、あると分かっている正解を求めていく数学が面白くなっていった。

人生で一番高い買い物

Windows95が出たのが中学生の時。
はじめてデスクトップパソコンが我が家に来て、インターネットにつながった。これは親に、とても感謝している。
この頃からパソコンが安くなって家庭に普及し始めたと言われるけれど、パソコンだけで済むわけないから周辺なんかもそろえると、まぁそこそこいくよね。たしか半分お年玉とお小遣いを貯めて、半分は親が出してくれたと記憶している。
親が使っているものを私が触らせてもらっていたわけではなく、中学生の私が使うためにパソコンを買って、インターネット回線まで引いてくれた。
その当時、我が家はまだ黒電だった☏

これが最初の「私の人生で一番高い買い物」。

染色の仕事をしている父と専業主婦の母が、パソコンをどこまで理解していたのかは分からない。おそらく何ができるのかも、よく分かっていなかったのではないだろうか。そんなモノに何十万も使わせてくれたのかと思うと、本当に感謝している。若い人には想像できないかもしれないけれど、そんな時代。おかげで中学・高校・大学・就職してからと、これといって資格も持っていないけれどパソコンで困ることはなかった。

こんな風に書いていると理系人間のようだけれど、実際は、理系人間になりたかった文系人間。
学校の授業では数学が好きだったけれど、パソコンでやっていたことと言えば、インターネット、メール、文章を書く、絵を描く、英語の勉強。
最初は理系を希望していたのが、いつのまにか普通科に進むことに。そして気づく、今までたいして勉強していないのに国語の成績いいな…そうか、私は文系人間なんだ。
気づけば、仲が良い先生も国語の先生だ。
高校の時の国語の先生は、自分が若い頃、北海道で暮らしていた話をよくしてくれていた。私はその話を聴くのが好きで、今いる場所ではない所で生活してみたいと思うようになった。

そうだ 京都、行こう。

私が育った神奈川にも大学はある。にもかかわらず、知っている人が一人もいない京都の大学に進学することにした。
奨学金をつかっているので、
これが二度目の「私の人生で一番高い買い物」。

京都に来たおかげで、それまで全く興味のなかった歴史や文化といったものに興味を持つようになった。歩いて行ける範囲に歴史小説の舞台や世界遺産があるのだから。
法学部だったにもかかわらず、手を使う仕事・文化的な仕事に興味を持ち、珠数の製造会社に就職することにした。

SNSと呼ばれる類のモノが出始めたのが、この頃だったと思う。
大学の友人なんかはmixiをやっていたけれど、1ミリの興味も持てなかった。
やった方がいいかな~と思って、やりかけたFacebookは続かなかった。
日記や日常生活なんか公開して何の意味があるの?…みたいな。
もっと言うと、これまでの人生、ニコ動やYoutubeのコメントすら投稿したことがなかった。
独り言なんか公開して何の意味があるの?…みたいな。
発信したいことも発信できることもない、そもそも発信することに抵抗があった、いや、関心がなかったのかな。

それに、働きはじめてからは、仕事に夢中だった。
知らないことが多すぎて、毎日、新しいことを知って、できないことができるようになっていくのが、ただただ楽しかった。
最初は、紫が覚えられなくて苦労した…江戸紫、京紫、古代紫、紫紺、茄子紺、薄紫、菫色、桔梗色、菖蒲色、藤色。
プラスチックと琥珀の違いも分からなかったな…間違えたら、とんでもないことになる。
でも夢中になっていたら、あっという間に5年くらい経ち、いつのまにか、やりたい仕事がやりたいようにできなくなってきた。

「失敗するなら今しかない!」

一年くらい考えた末、20代最後の年、起業した。
今思えばバカだったぁ~と思うことは数えきれないほどやっている。でも、今だったら同じバカもできない。

これが三度目の「私の人生で一番高い買い物」になった。

とは言っても会社を買ったわけではなくて、それだけお金がかかったということ。会社はゼロから作った。
せっかく法学部を卒業したのだから、定款作成や設立の様々な手続きなどは全部、自分でやった。最初は仕事がなかったから、時間はあった。会社HPも自分でつくった。ビルダーなどは使わずにHTMLでつくっていた。当時なら、それで十分だった。
最初の2年は、常に来月どうなっているか分からない状態。3年目にようやく軌道に乗り始め、だんだん半年先、一年先が見えるようになってきた。

小さい頃から、なんとなく家が欲しいという思いはあった。
毎年、建築会社の人が持ってきてくれる家の写真付きカレンダーを眺めているのが好きだった。就職活動の時に、不動産会社を検討していたこともあった。家が好きなのかも。
将来的には両親と住むという選択肢も持っておきたかった。
ローンを組むなら若い方が良い。
三年分の決算書も出せるようになった。
このままずっと会社が上り調子とは限らない。

「買うなら今だ!」

はじめは戸建てを検討していた。
たまたま平日の昼間に外に出る用事があり、良いなと思っていた物件の近くを通ることがあった。足を延ばして家を見に行ってみると、隣家の人がベランダで洗濯物を干していた。また逆隣りの人は、庭の掃除をしていた。その光景を見て思う、戸建てに住めるのは平日の昼間に家にいられる人…私にはムリだ。

起業から5年経って、中古マンション購入。
四度目の「私の人生で一番高い買い物」。

終わり良ければ総て良し

マンション購入から8年経って、売却することにした。
単純に必要性がなくなったからで、マンションは気に入っていたしネガティブな理由があったわけではない。

8年マンションを所有してみて、若い時の住居の選択肢として、マンション購入が当然のようにあってもいいのになと思った。
私自身も高校卒業後、一人暮らしをする時に、当たり前のように賃貸を選んでいたけど、そこに持ち家という選択肢があったら…もちろん親の協力も必要だし、親も含めた社会全体の大人たちのリテラシーが必要になってくると思うけれど。悪い大人たちがいないことが前提。
自分が買ってみて、不動産の購入って税金の勉強にもなるし、保険の勉強にもなるし、資産形成の勉強にもなる、ご近所さんと全く関わらないわけにはいかないから、トータルで良い社会勉強になった。
リスクもあるけれど、そのリスク許容も含めて、身銭をきって学ぶ良い勉強になると思う。
特に価格帯の低い不動産売買なんかは、学生でも安心して取引ができる仕組みがあればいいのに…賃貸なら学生マンションがあるのにね。
そうしたら無駄に疑心暗鬼になったりしなくて済むし、若い時からそういうリテラシーを身につけておけば、10年後20年後にはポジティブに不動産取引に参加できるようになるのでは?なんてことを考えていた。

だから、なるべくなら自分よりも若い人に買ってほしかったし、お得に買えたと思って、これから社会勉強してほしかった。
そして私自身は、買って良かったと思える売却をしたかった、人生初の不動産売却。

仲介をお願いした不動産屋さんは、不動産売却について調べている時にYoutubeで知った、主にマンションの売却を専門にしている会社。
私が何よりも気に入ったのが、情報公開に積極的という点。
自分の販売活動についての報告だけではなく、他の人の売却事例も公開しているから、参考にしたり比較したりできる。
あらゆる物事において不安の原因は、分からないことだと思っている。
不安を軽減させるには、情報は多い方が良い。
情報が多いと精査するのが大変だというけれど、それも含めて自分で考えて判断するから納得できる。
納得しているということが、主体的に行動する原動力なのだと思う。

そしてこの会社、活動報告を配信でしてくれる。
ほんの数分でもYoutubeで自分に向けて配信してくれるのだから、見ているならお礼くらい言った方がいいのかなと思い、マンション売却がきっかけでYoutubeに人生初コメント投稿。
この私がYoutubeでコメントする日が来るとは思わなかった。

発信することの大切さ

中古マンションだし立地も良いとは言えない場所、先述した要望もあり、もともと高く売る気はなかった。
不動産屋さんに対しても、「高く」ではないところで色々と要望を伝えていたのだけれど…そんな思い通りの人が来るかどうかは不動産屋さんにだって分からない。それに、そもそも一般の人より買取業者さんが買おうとするような物件なのだから。

にもかかわらず、結果、私の希望は叶った。

そして売ってから気づいた、この不動産屋さん、情報公開を積極的にする会社だった…断ることもできると思うけど、私は構わない、希望通りだし、心底満足しているのだから。
でもコレ、公開して意味あるのかな…傍から見たら単に安く売ったって思われない!?不動産屋さんにとってはマイナスイメージなのでは…。
率直に質問してみたら、たしか「実績として公開していることが大事」というような話をしていたと思う。

ここからは私の解釈だけれど、
私が黙っていたら、この事例を傍から見ている人には失敗した人と思われるかもしれない。でも、失敗か成功かを決めるのは他の誰でもない私であり、私が「成功した」と発信すれば誰がなんと言おうと成功なんだ!と気づいた。そして、この事例を公開して意味があるのかは、見た人が意味を見出すかどうかで、私が決めることではない。
自分も起業しているのだから分かる、実績は会社の財産だ。

マンション売却がきっかけでnoteはじめてみた

お世話になった不動産屋さんの一人が日報ブログを書いていて、ずっと読んでいた。日々のお仕事を記録するのって良いなぁと思ったのが、このnoteを始めたきっかけ。私は日々のお仕事を全く記録できていないけれど…不定期ながら、なんとか続けている。note界隈の皆さん優しい人多いし、たいして見られていないとわかれば、案外、気楽に書ける。
Youtubeのコメント投稿にはじまり、noteを経て、だいぶSNSや発信することに対してハードルが下がったのだと思う。

というわけでinstagramはじめてみました。
「かたくなにSNSをやろうとしなかった人が、あんなに人付き合いを面倒がる人が、インスタやってるなんて…」と同僚が隣で、しみじみニヤニヤしてた💢
とはいえ、自分でもインスタをやる人生になるとは思っていなかった。

今だからこそ感じる「つながっている」という感覚

あの時、マンションではなく戸建てを選んでいたら、この不動産屋さんに出会えていなかったし、今頃noteやInstagramなんて始めていない。

あの時、起業していなかったら、家を買うという決断はできなかった。
あの時、京都に来ていなかったら、起業していなかった。
あの時、理系に進んでいたら、京都に来ていなかった。
あの時、パソコンを購入していなかったら、きっと理系を目指していた。

その時々の「人生で一番高い買い物」が、私にとっては小さな挑戦だった。
その挑戦が失敗だったのか成功だったのかを、その時に判断する必要はなくて、そういう一つ一つがつながって、子供の頃の自分には思いもしなかった今になっている。
あの時、パソコンを購入して良かった、京都に来て良かった、起業して良かった、家を買って良かった、と今の私は思っている。
まだまだ始めたばかりのnoteやInstagramも長い目で見て、この先の何かにつながれば良いな。そして、五度目の「人生で一番高い買い物」をしてみたいな…なんて思ったりもしている。
先のことは分からない。



はじめてこんな長文をnoteで書いた、日記なのに。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
まだまだ投稿少ないですが、良かったらインスタのぞいてくれると嬉しいです。👇👇👇