のこすもの
瀧波ユカリさんの、実家終いの話を読んだ。
半年程前、
母方の祖母が住居型のホームに入居したのをきっかけに
実家終いをした。
正確に言えば、
母の弟である叔父が業者の力を借りて
ほぼ処分してくれた。
母が亡くなるまで、その家には
祖母と母とわたしの三人で住んでいた。
母は入院していたので、
その家にはほとんどいなかったし、
わたしは遠方に嫁いだので、
ほぼ、祖母の一人暮らしだったけれど。
実家を片付けた後、
祖母はわたしに言った。
「ばあちゃんの物は何にもなくなった。
じいちゃんの仏壇だけ。」
ばあちゃんが元気でいてくれたら、
わたしはそれでいいよ!
と言おうとして、やめた。
夫の思い出を、娘の面影を、
いっぺんに失った祖母には
そんな言葉は言えなかった。
半年経った今でも
何が正解だったかはわからない。
何れにしても、遠方に嫁いだわたしには
なにも出来なかっただろう。
実家終いは
まだまだそれには若いわたし達兄妹でも
精神的に随分と削られた。
こんなことをするのはもっともっと先であって欲しかったが、
体力と判断力があるうちで良かったとも思う。
そこにある物を捨てる、という作業にも
どうしても心が入ってしまう。
えーい!と勢いよくやれるものでもない。
体力が追いつかないほど歳を取っていたら
どれだけ大変だったろう。
そして、わたしの実家はなくなった。
実家終いをきっかけにして
我が家ではもう一つ、事が動いた。
わたしが動かした。
あれこれそれこれ、色々あって
疎遠になっていた兄と姉を
和解…ではないけれど、
兄妹、に、戻した。
それが今わたし達にできる
最高のばあちゃん孝行だ。
親が子に残すものなんて
形のある物である必要はないのかもしれない。
もしかしたら、形のないものの方がいいのかもしれない。
実家はなくなったけれど、
わたしには兄と姉がいる。
いい歳をしたおばちゃんになっても
まだまだ甘えたことを言いたいわたしには
兄も姉も必要だ。
そして口数の少ない兄と
兄には厳しく言わない姉にもまた
わたしの存在は必要だろう。
絶対的な味方をそれぞれ2人ずつ残してくれたことこそが
両親が残した最高の財産だ。
いつか必ずやってくるであろう
わたしの遺品整理と、家終い。
その時に残すものもまた、
同じようでありたい。
手元に置ける物なんて
限られているのだから。
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