見出し画像

こどもを抱く彼の背中は


 このところ残業続きで、おまけに週末は休日出勤だった。でも、休日出勤はキライじゃない。仕事に集中できるから。
 世間に合わせて電話もメールもお休みモード。確認したり思考を組みたてたりする作業に追われるこの時期は、これが心底ありがたい。古くておカタい業種なのもあって、宣言解除後は在宅勤務が認められなくなってしまったから、しかたがなく職場にいる。

 業務内容を共有している玉森さんは、週明けの研修内容の最終打合せを終え、12:15に席を立った。この男、朝も早いが帰りも早い。毎日定時きっかりに上がって夕飯を作る愛妻家子煩悩男子は、もうすぐ保育園の送迎生活に突入する。

「水野さん、まだやってくんすか? 僕、そろそろ帰りますね。あぁもう・・・月曜日からまた忙しいっすね。じゃあ、部長も水野さんも、おつかれっす! あ、14:00試合開始っすよ、今日!」

 ありがと。そうだよね、わかってる。
 わたしは笑顔で「おつかれ!」と手を振った。聞き慣れた革靴の音が遠ざかっていく。

 14:00か。テレビ観戦に間に合いたいなぁ。でも、月曜日の準備がまだ終わっていない。
 一瞬、帰る玉森さんを呼びとめて準備を半分こすれば早く終わるな・・・って頭をかすめたけれど、やめた。わたしひとりでいいや。


 通用口の鍵の音がガチャガチャ響くと、窓際でモニターに埋もれていた部長がやおら顔を上げる。

「玉森くんは いっつも早いねぇ。奥さん、まだ育休中でしょ? なのに毎日ご飯作って」

 ・・・「なのに」って何だ! いいじゃないか。たそがれ泣きする赤ん坊背中にくくりつけて泣きたい気分で夕飯の支度をしていた わたしから見たら、神様みたいなダンナだよ、玉森さんは。何なら彼にも育休取らせてあげたかったよ! わたしもたいがい昭和だけどこういうジェンダー差別発言って問題だよ?おっさん!
 あかん。脳内とはいえ、口が悪い止まらない深呼吸しよ。ふぅ。

「部長、我々の時代とはちがうんですよ。奥さんひとりが家事も育児もしなきゃいけないなんて、もうそういう時代じゃないんじゃないですか? そもそも家事なんて得意なほうがやればいいんだし」
「そういうもんなの? うちは奥さん、家にいてくれるからねぇ。でも、玉森くんも まだ仕事あるでしょう?」
「玉森さん、朝は早いですからね。花ちゃんの送り迎えが始まるまでは、きっと朝早く来て片付けるつもりですよ」

 おっさん、だまれ。休日出勤の昼下がり、こんな生産性のない話に付きあう暇はない。
 にっこり笑って、無駄話を切って捨てる。使いにくい部下だろうなぁ、わたし。でも、いいや。

 

 わたし、何のためにこんなに必死で働いてるんだろう?
 毎春、忙殺されそうになるたび、一度はその疑問が頭をよぎるけれど、あかん。今、そんなこと考えてる暇ないわ。

 

画像1

 

 ぐぅるるるるるる・・・

 静かなオフィスに、部長が思わず笑うほどの音が鳴って、我にかえる。資料作成に没入しているうちに、かるく1時間が経過していた。
 あ、おなか減ったな。これ仕上げたら、わたしも帰ろう。
 
  

 最近ちょっと働きすぎて疲れている。ちょっと贅沢なランチをテイクアウトして、自分を甘やかそう! そう思いながら家に電話してみたら娘が出た。お昼ごはんはまだ食べていないらしい。ちょっと考えて、玉森さんおすすめの店に行くことにした。たまに奥さんと散歩がてらサンドイッチを買いにいくお店で、美味しいらしい。

 

 店のショーケースに並ぶ、華やかな断面は50種類以上。じっくりと眺めながら娘の条件を満たすものを探す。
 ①ヘルシーなやつ
 ②カツみたいなのも食べたい
 ③デザートサンド
 
 コレとコレとコレ。それと、クラムチャウダー2つ、お願いします!

 
 


 

 多いなぁ。きっと多い。しかも糖質たっぷり。おなかいっぱいになって、きっと眠くなっちゃうだろう。noteの記事書きたいんだけどなぁ。でもいっか。疲れもたまってるし、眠くなったらお昼寝しよう。

 脳内にふわふわと食欲と睡眠欲を浮かべながら、車を走らせる。

 昼下がりの住宅街をゆっくり進んでいくと、視界の先を親子連れが横切った。Tシャツ姿で左肩に軽々とこどもを抱き トイレロールをさげた男性と、エコバッグを持ち おだやかな表情でそれを見上げる女性の姿。近くのショッピングモールからの帰りなのだろう。おだやかな休日らしい映像。
 春の陽射しのなか、その3人の織りなす世界は完璧で、ことばにするとちょっと大げさだけど神々しく感じた。

 道を渡りきった彼らの背後に差しかかったとき、ハッとした。

 一度見たら忘れない派手なスニーカーの配色。コンタクトじゃなくメガネだったけど、見覚えのあるシルエット。このパパ、玉森さんじゃん! そういえば、サンドイッチ屋さんはご近所だって言ってたし。
 ・・・ってことは、抱っこしてるあの子、いつも玉森さんのスマホのなかで うきゃきゃと笑い転げる花ちゃんだ。つかまり立ちしては尻もちついて笑っていた花ちゃん、つたい歩きしてたかと思ったら急にとことこ歩きだした花ちゃん、キャーーーーって歓声をあげながらくり返し布団にダイブする花ちゃん、いつの間にか勝手に孫みたいな感覚になっている花ちゃん。

 

 あぁ、これで良かったんだなぁって思った。

 あのとき呼びとめなくて。
 彼のこの時間を奪わなくて済んで。
 奥さんとこどもと買い物に出かける昼下がりは、何でもない日常かもしれない。だけど そんな時間こそ、忙しさが続く彼の日々のなかで きっととてもたいせつ。

 

画像2

  

 こどもを抱く玉森さんの背中は、職場で見るそれよりもひと回りたくましかった。
 たいせつな人との暮らしをより充実した時間にするために、彼は働く。その理由が明快に伝わる働きかた。部長にはなかなか理解されないけれど、それでいい。そのままでいい。
 楽しめ、パパ! こどもの“今”は、ほんの一瞬。あっという間に通りすぎてしまうから。

画像3

 ただいま。買ってきたよ!
 紙袋をのぞいた娘は、お花の断面のフルーツサンドに目を輝かせた。

 

 


画像4


ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!