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憧れて、慕って、待って、萎れて。 #クリスマス金曜トワイライト

その瞬間、人でごった返しているホームのざわめきが、消えた。耳の奥で、拍動だけが響いている。こみあげる感情に、視界が揺らぐ。
階段を振り返る人波の先に、あなたがいた。

 

すれ違いばかりの毎日。
待って待って擦りきれた夢を心の底から掴み出して、やっとの思いでたどり着いた今日だった。あなたがここに来るなんて、到底思えなかった。

それなのに、なぜあんなことをしたのでしょう。
もしかしたら私は、その1%に満たないほどの可能性に賭けてみたかったのかもしれません。

もしも逢えたら。
そのとき、ようやくこの想いを海底に沈めることができる。

 

コートの左ポケットをそっと撫で、深く息を吸って、微笑みを形作る。
あなたの記憶に残る最後の映像は、笑顔の私。
でも、どうか忘れてください。私のことなど、どうか。

 

❅ ❅ ❅ ❅ ❅

 

品川の住宅街にひっそりと佇むレトロな邸宅の美術館。
ひとり訪れたモダンアート展が、はじまりでした。

作品と対峙していると、空気が変わる瞬間がある。それは、潤沢に墨をたたえた筆を手に、深く息を吸って、筆を下ろすまでの心地よい集中に似ていました。
この作品は、どこからやってきたのか。
作品に呼吸を合わせていくと、その向こうにあるアーティストの宇宙とつながる瞬間がたしかにあって、ひたひたとエネルギーが満ちてくるのです。
帰ったら、すぐに書に向かおう。今すぐ墨を磨って、はやる気持ちを落ちつけたい。私は、自分の奥深く流れ込んできたエネルギーが熱を帯びて、循環するのを感じていました。

 

「ここにはよく来るんですか?」

不意をつかれて、すぐには言葉が浮かばなかった。
にぎわうパーティ会場の片隅で、シャンパンのグラス片手に、私は青々とした芝生の中庭を見つめ、待っていました。案内はがきを送ってくれた知人の周りには人だかりができていて、私は挨拶を済ませたらすぐに帰ろうと思っていたのです。

振り向くと、笑顔でグラスを差し出すあなたと目が合って、反射的に笑みを作りました。覗きこむ瞳は、まるでレモンを手にしたTV雑誌の俳優のような光をたたえていて、余計に言葉が出なくなってしまう。ようやくしぼり出したのは、消え入るような声だったのかもしれません。

「いえ。はじめてです・・・」

「僕もはじめてです・・・・・・嘘です」

嘘? 思わず笑わされて、あなたを見上げた瞬間、頬が上気するのがわかりました。金色の泡が、血管を駆けめぐります。
止まれ! 願いに反して、彼のいたずらっぽく問いかけるような瞳に、心臓は音を立て続けました。

 

「センスのある人」だと感じたことは覚えているけれど、彼が何を着ていたのかまでは思い出せません。ただ、グラスに添えた長い指先に見とれたことだけは覚えています。

どうして出会ってしまったのだろう。
何度も再生したこの瞬間はスローモーションで、思い返すたびに私の筆は止まってしまうのです。

憧れて、慕って、待って、萎れて。
立ち枯れてしまった私の恋。

 

❅ ❅ ❅ ❅ ❅

 

あなたは私に「広告屋」だと告げました。あなたから聞く華やかで厳しい業界は、書と向き合う私の静かな暮らしとは縁遠い。昼も夜もない多忙を極める日々のなかで、あなたは常に何かに追われているように見えました。

まれに仕事が早く終わると電話がかかってきて、私はいそいそと出かけていきました。いつもすぐに向かえたのはね、準備していたからなんです。いつ電話があってもいいように。
あなたは雰囲気のある店も、狭くて旨い居酒屋も知っていたし、とびきり美味しいお酒も教えてくれました。はじめて見聞きする華やかな世界に私は心躍らせたし、仕事に打ち込むあなたの背中はまぶしく見えました。

 

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初めて夜を共にした日のことは、今でもはっきりと覚えています。
歴史あるホテルのシガーバーで、あなたが私に選んだのはホワイトレディ。コアントローとレモンの香りが鼻に抜けて、さらりとしたのど越しのカクテルは、甘い飲み物が苦手な私にぴったり。それを選んだあなたに、驚きました。
「味見してみる?」とあなたが差し出したマティーニ、そのスモーキーな味わいよりも、触れあった指先が私を酔わせました。

部屋のドアが閉まらないうちに、あなたの頬に触れたのは「大丈夫」だと伝えたかったからです。私も同じ気持ちでいると、あなたに知ってほしかった。
私の髪に指を通しながら、あなたは首すじに鼻をうずめ、レモンの香りがする・・・と言いましたね。3箇所にしのばせたシトラス・ヴァーベナを探す旅が始まりました。
ふたりの間にある布きれを少しずつ剥ぎとりながら、初めて肌をぴったり重ねた瞬間、脳の内側をざらりと舐められるような深く甘い痺れが私を満たしました。バターのように溶けて重なりあうと、ふたりの境界線は曖昧になり、心の底まで繋がっている気がしました。あなたの孤独な心が流れ込んできて、私はあなたの頭をかき抱きました。
私がそばにいる。あなたを守る。
そう心に決めたのです。

 

思えば、あなたから必要とされたいあまり、私は我慢しすぎたのかもしれません。
どんな時間でも電話があれば逢いに出かけ、たまに逢えたときくらい・・・と、その気持ちに徹底的に寄り添い、包みこみ、めいっぱい甘やかしました。
仕事に疲れたら、私のところに帰ってくるように。

 

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ふたりの間に翳りが差したのは、いつの頃のことでしょう。

忙しさに後回しになったあなたの夏休みがようやく取れたのは、冬の入口。
陽光にキラキラと輝く伊豆の海を見て、こんなところにふたりで住んで穏やかに暮らせたら・・・と思えたのは、つかの間のことでした。

東京へ帰ると、相変わらずの日々が待っていました。約束しても仕事が押せば逢えなくなり、埋め合わせの約束も仕事でキャンセル、待って待ってようやく逢えたあの晩。
あなたは険しい顔しか見せなくて、頭の片隅に常に仕事があるのが見てとれました。こんな時はそっとしておいた方がいい。求められたことだけ、応えればいい。そう思ってきたけれど、ふと、私は何のためにいるのだろう・・・という疑問が頭をかすめました。

私は、必要とされてなんかいない。
部屋でひとり待つ時間よりも、ふたりでいる時間のほうが淋しいなんて。
私はあなたと同じ時を過ごしたかったし、同じ未来を夢見たかったけれど、あなたは逢いたがる私に、気が向いたときに会おうとするだけでした。会えば抱き合うけれど、想いを交わす余裕がなかった。
私の「逢う」とあなたの「会う」は、いつの間にか違うカタチをしていたのです。

家へ帰る道すがら、甘やかな誘いもショートカクテルもタクシーの窓を流れる夜の東京も旅の思い出も、あなたのくれたすべてが滲んで見えました。

愛ってなんだろう。

 

❅ ❅ ❅ ❅ ❅

 

私は東京を離れることを決め、あなたに手紙を書きました。
次に逢える日なんてわからないけれど、もしも逢えたら。
一縷の望みを託し、上野発の特急列車の出発時刻を書き添えたメモのような手紙と、もう一通の手紙。
それは、あなたに読まれないだろう手紙。

 

旅立ちの日、コートの左ポケットに手紙をそっと入れて、私は家を出ました。
3日前、あなたのアパートのポストに入れた手紙。
あなたはあの手紙を読んだのでしょうか。
来るのでしょうか、上野に。

今ごろになって、何を期待しているのでしょう、私は。
でも、考えてしまうのです。あなたの心の動きを。
あなたは気付くのでしょうか、私が本当に欲しかったものに。

 

❅ ❅ ❅ ❅ ❅

 

雑踏のなか、名前を呼ばれたような気がしました。
その瞬間、人でごった返しているホームのざわめきが、消えました。耳の奥で、拍動だけが響きます。

階段を振り返る人波の先に、あなたがいました。
肩で息をしている姿を見たとき、こみあげる感情に視界が揺らいで、スーツケースのハンドルをぎゅっと握ります。
泣かない。

コートの左ポケットをそっと撫でると、手紙と一緒にしのばせたあの香りが立ちのぼりました。あなたの好きな“レモンの香り”のロクシタン。

深く息を吸って、微笑みを形作る。
あなたの記憶に残る最後の映像は、笑顔の私。
でも、どうか忘れてください。私のことなど、どうか。

 

「いくなよ」

発車のベルが鳴る。
その言葉に、こらえていたものが溢れ出します。
今になって、そんなこと言うの、ずるいよ。

何か言いたかったけれど、言葉にしたら崩れてしまいそうで、私はポケットの手紙をそっと渡しました。包み込んだあなたの手はあの日と同じで、温かい。

発車のベルが鳴りやんだ瞬間、あなたの手はさらりと零れていき、扉が閉まりました。

ドアのガラス越し、私はあなたにそっと語りかける。
涙と微笑みを浮かべたまま。

 

「ありがとう」

 

 
電車に揺られて遠ざかる街を眺めながら、思いを馳せる。
きっと今ごろ、あなたはあの手紙を読んでいるのでしょうね。あなたの手のなかにあるのは、あなたを愛した私の抜け殻です。
しばらくは、私の笑顔を思い出すでしょう。
でも、どうか忘れてください。私のことなど、どうか。

 

❅ ❅ ❅ ❅ ❅

 

この手紙を読んでくれているなら、あなたに逢えた時でしょう。身勝手なわたしを許してください。

本当はわたしは負けそうな自分が怖いのです。距離や時間が離れたとき、あなたが消えてしまいそうで。それが怖いのです。

ずっと逢いたかった。だけど言えなかった。あなたが仕事で活躍していけばいくほど遠くなった。

でもね。あなたに出会えてよかった。

ずっとあなたを感じていたいのです。あなたの頬や、あなたの唇に触れていたいのです。いっしょの時間をすごした確かな日々を、心と体に焼き付けておきたいのです。

あなたが好きです。大好きです。

 

 

 
【追記】

この作品は、#クリスマス金曜トワイライト の参加作品です。

池松さん!
今回もリライトさせて頂きました。楽しい企画をありがとうございます♪
今回は授賞式イベントや動画作成、書き手賞に読み手賞に妄想賞など7つの賞も準備され、更にパワーアップされた企画に、胸躍らせています。
私自身は・・・と言えば、前回よりも、心なしかリラックスして臨めているような気がしています。書き終えて、みなさんのところへ伺うのも楽しみにしていますし、普段の書き手仲間が参加してくれたのも、その仲間のところへ、今までとは違う方々が読みに立ち寄ってくれていることも、めちゃめちゃうれしく感じています!
池松さん、企画運営のみなさん、ありがとうございます!

 

なぜこの作品をリライトに選んだのか?

恋の始まりから終わりまでの変化と、そのカタチの違いを描きたかったからです。リライトするにあたって、読み終えた瞬間、この物語のB面を描こうと決めました。


どこにフォーカスしてリライトしたのか?

➀待つ側の心象風景
リライトするにあたって私が着目したのは、“待つ側の心象風景”です。
池松さんの原作は男性目線で、待つ側になっていたのは女性です。
仕事に生きる男性に憧れ、彼を愛し、たっぷり甘やかし、(ちょっとダメ男にして)、待って、待って、自ら立ち枯れてしまう。
そんな彼女の目線からは、この恋愛がどのように見えていたのか。
身を焦がして待つ愛と、そのせつなさのかげに隠れた女の情念を描こうとしました。

この女性、最後は彼を東京に残して去っていきます。
そこには、爽やかで切ないレモンのシュワシュワした恋愛だけではすまない、熱くたぎったドロドロの情念のようなものが見え隠れするのです。
忘れてください・・・と言いながら、香りを印象的に残したり、手紙という手元に残る手段で愛を伝えたり。

でも、最後だけは「ごめんね」じゃない言葉を言わせたくなりました。他のセリフはほぼそのままですが、ここだけ変えています。

 

➁「レモンの香り」というモチーフ
池松さんの原作で、男性が感じていたレモンの香りは、もしかしたら印象の世界だったのかもしれません。爽やかな甘酸っぱさ。
でも、女性目線では、敢えて香りを演出しました。身体のなかの3点にロクシタンの香水をしのばせる演出など、少し艶っぽくして。
少女っぽい女性よりも、色気を感じる女性を描きたかったのです。

 

➂「バターのように溶けて重なりあう」
池松さんの原作では、冬の伊豆で「バターのように溶けて重なりあう」(←この表現、大好きなんです♪)ことになっているのですが、彼女が真冬に東京を離れるためには、このシーンは、もっと前の時期に欲しくなりました。そのためにベッドシーンを分割して、初めての夜のエピソードを足しました。
そして、書道教室の先生である女性の、一見控えめに見えるけれど大胆な部分もある・・・という演出をしました。ちょっとしたスパイスに。
大胆な女性、個人的に好みなんです。

この「バターのように溶けて重なりあう」と感じるシーンが、女性では初めてのベッドシーンで、男性では冬の伊豆・・・そう時間軸を分けることで、原作と両方を読んだ方には、男性の油断も伝わったらいいなぁって思います。(ここでは書いていない部分なので、本来の小説の楽しみ方とは異なりますが)

 

以上で、あとがきは終了です。

あ〜♪ 前回も楽しかったけれど、今回はもっと楽しかった!
でも、これからさらに楽しみますよー!

ここまでお付き合いくださったみなさん、ありがとうございました。

 

他のみなさんの作品は、こちらです。是非ぜひ読み比べて、楽しんでくださいね!

ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!