連載 スイスの歴史⑫ 現代のスイス

第二次大戦を無傷で乗り切ったスイスは、終戦直後からめざましい経済発展を遂げた。産業構造も大幅に変化し、農業中心の社会から工業化を経て、商業・金融・観光・サービス業等の第三次産業従事者の割合が急増し、都市部への人口集中が進んだ。不足する労働力を補うため、多くの外国人労働者が受け入れられ、その割合は全国民の二割に及んだ。1970年代に全世界に波及した石油危機とドルショックや20世紀末の冷戦構造の崩壊などの影響はスイスにも及んだが、そうした政治経済の大変動も、持ち前のバランス感覚で乗り切ってきた。欧州諸国が次々とEUに加盟してユーロ圏を形成する中でも、スイスは独自の路線を貫き、スイスフランは今もなお安定した通貨価値を維持している。

ジュネーブの国際連合欧州本部

EUには加盟していないものの、スイスは多くの国際機関に関わっている。EFTA(欧州自由貿易連合)、IMF(国際通貨基金)、IRBD(国際復興開発銀行)などへの加盟もそうだが、とりわけILO(国際労働機関)やWTO(世界貿易機関)、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、国際赤十字などの名だたる国際機関の本部がジュネーブに置かれているのも大きい。こうした条件により、ジュネーブは頻繁に国際会議が開かれるコスモポリタン都市となっている。2002年には、国民投票により、長年の懸案であった国連加盟も実現した。2004年には、欧州国境間での国境検査を廃止するシェンゲン協定にも加盟している。

2021年時点のEU加盟国(sakeelon.blogspotより)

これだけの国際機関への関与を実現しながら、なぜEU(欧州連合)には加盟しないのか? そこにはやはり、建国以来の「ハプスブルグ的なもの=汎ヨーロッパ的な統合への動き」に対する強い警戒心が働いているのではないかと思われる。州権主義しかり、直接民主主義しかり、民兵制しかり、中立しかり、四つの公用語しかり、・・・建国以来、何世紀にもわたって培われてきた伝統を、スイスは頑なに守り続けているのだ。

保守派の論客として知られる経済学者の佐伯啓思氏は、「保守」をテーマとした著作において、「保守主義は政治の一部エリートのものではない。それは自国の伝統にある上質なものへの敬意と、それを守る日常的な営みによって支えられる」と述べている。この定義に従えば、現代日本の「保守」政治は、真の保守とは言えないだろう。一方、スイスでは、そうした「保守」の精神が、頑固なまでに生き続けているように思われるのである。

スイスの国旗(縦横比1:1の正方形)

スイスを表す略号の"CH"は、ラテン語の"Confederatio Helvetica"(ヘルヴェテイア連邦)を意味する。だが、現代に至るスイスの歴史を鑑みると、"CH"の"C"は"Conservative"(保守)をも意味しているように感じられるのだ。欧州の真ん中に位置する小国が、戦争に巻き込まれることもなく、激動の世界をしたたかに生き抜くことができたのは、そうした「保守」の精神に支えられた強さゆえであったのかもしれない。(了)





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