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4年3組、熊谷学級と悪ガキたちのお話✨

小学4年生の担任の先生は〝熊谷先生〟になった

ついに、 
あの怖くて有名な熊谷先生が…、、
ついにクラスの担任に…!

コワモテの色つきメガネ
ドスの効いた低い声
見るからに怖い世界の人だと思ってた。
歴代の6年生の担任を受け持っていた先生がなぜ
なぜ、、
4年生の担任に❓

その訳は一つ

歴代一のヤンチャ揃いのクラスだったからだ。

クラスにはイジメがあった。
心が優しすぎる子、
家が貧しい子、
給食食べるのが遅い子、
背のちっちゃい子、
転校生、
大体やり玉に上がるのはこの子達。

小学校高学年って
純粋だけど、言葉や行動の度合いというか分別がつかない微妙な年代でもあって、結構残酷なことをする子も多かった。
もちろんそんな子ばかりではないと思うけど。

イジメられっ子って
それぞれマンツーで話すと
めちゃめちゃいい奴だったりする。
単に協調性がないだけでイジメられる。
それはそれで完全に個性なのにな…

心の優しすぎる〝カズ〟は
ゆるふわなキャラクターみたいで
大人しくて不器用で給食を食べるのが遅かった。
『まぁ、ゆっくり食べ』
と言うと
『俺、牛乳苦手なんや…』
と言っていた。
いつも男子に殴られたりイジメられて
机に顔を伏せてシクシク泣いていた。
涙で机の木の色が変わっていた。

中学生になると〝カズ〟は町からいなくなった。
本当に空気みたいに
ふわっといなくなっていた。

中学受験をする感じでもなくて、
どこか遠くの町の『施設』のようなところに入ったというウワサだった。

もっとたくさん話せばよかったな。

生きてるかな…
この過酷な時代を生き抜いているかな…
でも私が思うに
あの子供社会が私的には一番過酷だった。
一番残酷で
一番助けを求められない時期だった

大人に助けを求める事が正解か、
親に話すと心配するな、とか
結局子供だけの時間が来たら仕返しされる、とか
まだ言葉にもならない感情もたくさん生まれる時期だった。

だから
大人社会で自由でいられる強さを
武器にできる大人になっていてほしい。

でもあの時
もっとたくさん話せばよかったな…

お家が貧しかった〝ゆーちゃん〟の
家に遊びに行ってハムスターくんと遊んだりするがすごく楽しかった。
狭い路地をくねくねと入っていくと
古い長屋があって、
その一つが〝ゆーちゃん〟の家だった。
本当に狭くて土壁が丸出しのお家に兄弟が6人もいた。 
お風呂に入るのが大変だったのか、
いつも少し臭いがあった。
だからいつもイジメられていた。
頭から牛乳をかけられたり
机ごと蹴り飛ばされたり
それはそれはとても壮絶なイジメだった。

でも彼女は逞しくて、
どんなにイジメられて涙を溢しても
顔を上げていた。

その後、
中学生になった〝ゆーちゃん〟は
絵に描いたようなヤンキーになった💃
日に日に眉毛が薄くなっていって、
ついには全くなくなった‼️
ある日の朝
生徒指導の先生に呼ばれて生徒指導室に入っていった。
しばらくして教室に戻ってきた〝ゆーちゃん〟を
見て大爆笑した。

何と眉毛が復活していたのだ。
細くて真っ黒な眉毛…

『どうしたの?』
と尋ねると
『くそ…、マッキーで書かれたわ❗️』

とホンキで怒っていた。

私はイジメられっ子だったけど
持ち前の気の強さで
売られた喧嘩は買っていた。
だから
イジメとは呼べないやつだった。
あれは確実にイジメだったけど、
泣き寝入りした事は一度もなかった。
だからいつも喧嘩の部類に入れられて
私もイジメた奴も同時に呼ばれて先生に叱られる。
喧嘩両成敗ってこの事。。

イジメを通り越して
〝決闘〟
という名の喧嘩もあった。

『放課後4時半にはげ山に集合な』
『決闘やからな!』
『死ぬまで戦うんぞ』
『かかってこいや』

的な会話の後
〝決闘〟
がスタートする‼️

とにかく最初は口喧嘩
そこからどんどん距離を縮めて最後には掴み合いになる。誰か教えたのか…💦 
立派な喧嘩のやり方じゃないか!笑

その時は必死だったけど
今思うと何とも微笑ましい…笑
チームで作戦立てたりしてその時ばかりは凄い団結力を発揮していた。

5対5とか、それ以上もあった。
驚く事に男女混合である。

1対1の時もあって
それはそれは武蔵と小次郎のようで
夕日の中に木枯しが吹いちゃったりして
なんとも素敵に見えるのだ。

外野は〝はげ山〟取り囲んで応援した📣

とにかく男子も女子も血の気が多い奴ばかりのクラスだった。

大体、このくらいの年代のモテる子はもれなく
足の早くて頭がいい子♡
ついでにケンカの強い子♡

という訳でこの条件に当てはまる

〝山ちゃん〟

がウチのクラスの1番人気だった。
清潔感のあるさわやか坊主でかなりのイケメン。
運動神経抜群で、頭もいい。
人を殴ったり、意地悪をしてるのを見た事がない。

女子はほぼ全員〝山ちゃん〟が好きだった。

でもね…
この〝山ちゃん〟

筋金入りの『ワル』でもあった。笑

カリスマの塊のような奴で
リモートコントロールの天才。
洗脳ともいうかな…。

男子全員この〝山ちゃん〟の奴隷だった。
何でも言う事を聞く男子達。
彼の言うことに背く、事をしている男子は1人もいなかった。

でもきっと
【命令】
というより
【それが面白い】
という風に捉えさせる説得力が彼にはあったのだと思う。
自分では手を下さないとにかく凄い奴だった。

もちろん〝山ちゃん〟が
〝決闘〟で闘うことは一度もなかった。

闘いはじめ〝はげ山〟頂上には必ず1番に登るけど

闘いが始まると
知らない間にいつも居なくなるのだ!

いつもスッキリ長い美脚に
浅黒い肌に真っ白な体操着

彼が泥だらけのボロボロになった姿は
1度も見た事がない。

さすがリモートコントローラー‼️

ある日男子が休み時間にバーっと走ってきて
ボコボコに殴られた。

〝山ちゃん〟の命令だそうだ。

それでも私は放課後の掃除当番が楽しみで
ホウキで集めた枯れ葉やゴミを
彼が塵取りでとってくれた。

バレンタインには山ほどチョコをもらっていた。

迷いに迷って買ったチョコレートを
中身よりもゴージャスなラッピングで包み
放課後ドキドキしながら待ち伏せして渡した🍫
はにかんだ顔して
『ありがとう』って言われちゃって
やっぱり一生忘れないよね!

おかしい子供だった。
イジメられてたのに!笑

でも初恋は成立していた。

チョコを無事に渡し終えたら、
次は〝えりごん〟のバレンタイン大作戦だ🍫✨
〝えりごん〟は私の大親友。
広島から転校してきた色白の可愛い女の子。
何をするにも一緒だった。
交換日記もした📚
〝えりごん〟の好きな人は1つ歳上の〝のぶくん〟
小学校の近くのお寺の子だった。

私は少し離れた電柱に隠れ、
まるで『家政婦は見た』の市原悦子さんのように
〝えりごん〟がチョコを渡すのを見守っていた。

この〝えりごん〟の恋は中学にあがっても続いて、
ついには告白するのだけど、
〝のぶくん〟は〝のぶくん〟より一つ歳上の
バスケ部の可愛い先輩とお付き合いが始まってしまった💔

そんな〝えりごん〟も
何気に〝決闘〟には参加していた。

運動場の隣りの遊戯スペースが闘いの場所だ💪
アスレチックとその向かい側に藤棚がある。
その二つの間に大量の土で山を作った
通称『はげ山』がある⛰
両者の基地はアスレチックと藤棚にあり
闘いは『はげ山』で繰り広げられる。

この『はげ山』に登っていく姿が
誰でもめちゃ格好良く見える✨  
という理由で闘い始めはいつも『はげ山』である。

そのうち『はげ山』で始まった闘いは
大体アスレチックに場所を移していく。
隠れたり、攻撃したり、よじ登ったり、
とにかく絶好の闘いの場所だった。
ここに闘いの場所が移ると
ほとんど〝決闘〟も終盤である。

これくらいに17時20分のチャイムが校庭に鳴り響き
しばらくすると
例の〝熊谷先生〟がついに現れる!

『お前ら何時や思とんねん‼️はよ帰らんか💢』

子供一同
ピタリと動きが止まる。

当時からもぅ ええオッチャンで
授業中は黒板を3回ノック

ァタシ達はおしゃべりをやめて両手を後ろに組み素早く 「やすめ」 のカタチに

さもないと

ヒュン !!!!!!

チョークが飛んでくる

喧嘩がバレて怒られると思いきや
『喧嘩ぁ?おー、もっとやらんかい!』
止めやしない…。

ベルトのバックルをパカッと開くと
観音様の埋まったピカピカの石の飾りと
時計がついていた。

ここが開くと先生の怒りは最高潮💢
という印だった。

ある日の授業で先生は全員を講堂へ連れて行き
窓のカーテンを全部しめさせた。

『さぁ思い切り闘え❗️そのかわり人を殴るな』

そう言って私たちの前にミニサッカーを置いた⚽️

チームはジャンケンで分かれた2チーム 
授業時間中、一度も休憩せずに勝負した。
窓にボールが当たっても
カーテンのお陰でガラスは割れなかった。
 

桜の綺麗な新学期に悪ガキのァタシ達を
近所の小さい山に連れてった
階段に座って全員で写真を撮った

みんなニコニコで

当時ァタシは
生意気な口ばっかきくクソガキだったけど

大人になって久々に会った先生は

『がんばらんかいっ!』

と昔のままの口調

目が覚めたらちょっと泣いていた。

先生。
あの後すごく大きな地震が来たよ。
〝由香〟が〝由香のお母さん〟と
そっちに行ったけど、会えた?

出来るなら
みんなそろってもぅ一度会いたい
まだまだずーっと先の話。

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