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Get Away

あなたが欲しいもの、当てようか。加害者、あとは認めてくれる存在。違うかしら?


ま、朝ごはんにしましょう。


メディアにまるっきり触れないでいるのは至難の業。
つい、視ないぞーと決めてるのにニュースを点けて、またガッカリして消す。ヘッドラインだけでじゅうぶん。


加害者を追いかけるカメラ。そして、哀れな被害者も追いかける。
それぞれ、メディアの「制服」を着せて。
加害者は基本悪魔や怪物で、被害者は哀れ、時には生涯をかけて執念の復讐をする。
最後はみんな崖が必要なんじゃないかしら。


ドラマならそこで終わりでも、現実のカメラはもっと長く、何千年も回される。
加害者?必要だから作られる。とても必要、みんなが石つぶてを投げる鬼、黒い羊。


飢饉や疫病、不況や戦乱に苦しむ被害者たちは、もうストレスぱんぱん。鬼が、悪魔が、怪物がどうしても要るのだ。鬱憤を晴らすため、少しでも社会のガス抜きをするために。


昔、英語のロックの歌詞を読んでいて、何度か引っかかった言葉があった。
Broken。
be動詞がつけば、「(誰かに)折られた、壊された」。
俺は、私は、〇〇に壊された。
心だったり、魂だったり。
そして、復讐が始まる。あるいはブクブクと泥沼の底へ落ち込んでいくか。最後に沼の底からおならをしたりするが。


誰に壊されたのか、明確に言ってる歌詞は少なかったように思う。
そこはほら、ぼかそうという暗黙の了解はどこの世界にも、いつの世にもある。言ったらやばかったり、書いてる本人がよく分かってないケースも。


誰それにやられた、だから仕返しをする、という幼稚な価値観は、江戸時代では仇討ち制度として平気で罷り通っていたし、近年も誰かを社会の島流しにするのはみんな大好きで、ドキドキしながら見守っている。人生をかけた鬼ごっこ。捕まったらアウト。ほんとうにアウト。そのアウトの瞬間に飢えてる。カメラを起動しなきゃ。


誰にやられた?
では、あなたがやった側なら、どうなる?
自分は決してやらない?
「決して」「絶対」だけはないのだ、と学んだ。肉体が死ぬこと以外、「絶対に」決まってることはない。


加害者にも親があり、子があったり恋人があったりしたこともあるかも知れず、激痛に泣く「心」があるなどとは思わない?もちろんあるし、好きなテレビもあったし、おもちゃで夢中になって遊んだこともある。大好きな友達もいた。大好きなおやつもあった。
それも加害者の顔の一つで、実はそこからあまり成長することができなかった人が多い。泣き叫ぶ童たち。見た目は大人や時に老いていても。
ほら、泣き叫んでいるよ。私は画面を消し、音楽をかける。



おいで、遊ぼ。鬼の子、可愛いきみ。私もそう呼ばれていた。ここから出るんだ。おいで、お菓子あるよ。食べなよ。そしたら遊ぼ。


誰もが自分を認めてくれる存在が欲しい。
だからバズりたくて、有名になりたがり、沢山の人に認めてもらって、えー、それで、本当の夢は結局そうなるの?
誰かに認めて「もらう」こと?これまた受動系。
受動一直線、黒帯を目指して。


認めて欲しい人物は?
ふつうの場合、親、もしくはそれに準ずる人物だろう。やがて社会、という、多数の人間の集団に、となる。
ツラがよくなりたいのも痩せたいのも金が欲しいのもイケてる肩書きが欲しいのもいい物件も、誰かにステキと褒めて欲しいがため。
たとえばいい家に住む!という目標があり、純粋にそれが達成されたなら、その人はもう家にこもって出てこないだろう。生活維持の資金調達さえできれば。
そ、生活維持。これも厄介。ソローのような生活は不可能、と、マネーをピロリンといわせて引き落とし。残高気にして生きていく。川辺のハコベを摘もうかと考える私。おじやに入れるとうまいから。


話を戻そう。私は誰に認めて欲しかったか。
やはり、親だった。子どもは無条件で親を愛し、また無闇に承認してもらいたがる。それが叶わなければ一生、「認めてよ、こんなにやってんだから誰か認めてよ」という精神的乞食ライフを送ることになる。空を見上げりゃお袋さん。逃げ場なし。


そこから抜け出した孤高の魂のヒーローの帰還を、私たちは歓呼を持って迎えた。
イチローさんである。


彼の言葉は率直でどれも刺さるが、繰り返し言っていることがある。


「第三者の評価を意識した生き方はしたくない。自分が納得した生き方をしたい。」


無数の人間に見られる仕事をしながら、その意識を保ち続ける❗️
認めるのは第三者ではなく、俺自身なんだ、と。そしてやり遂げ、まだやってる。まったく、なんて男❗️


私はどうだろう。
ふと、気づく。
認めて欲しい、と願ったひとたちはもうこの世にはいない。心の中の宇宙で、美しい星になってまたたき、微笑んでただ見ていてくれる。それはいつも心を引き締めてくれる。

SNSで気をつけるのは「決してバズるな」ということ。
うまい具合にウケない。しめしめである。
気をつけて、そっと呟くだけ。すっきり、フハハ。
沢山の人々?
話したこともあるけど、宝石は千万に一つと知ってる。隣駅の農家のおばあちゃんとかはたとえば真の宝石だが、SNSはやってない。そらそうか。宝石はSNSやってない人が多い。そ、私も木石さね。



認めて欲しい存在。
その私をつくってくれた存在たちは、私に取り込まれ、つまりもう私自身だ。私が私を認めれば、その日はしあわせ。つまり人生は、しあわせ。それでいい。


作業の手を休め、耳を澄ませると雨の音。春を呼ぶ音。かえって心がぬくもるような、優しい春の雨の音。


で、私が認めてるので、この文章これで良し。言いっぱ書きっぱ、しからば一句、そして一服。Chao.


うつむいてほほえみたる水仙の香や


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