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カンターレ、マンジャーレ、アモーレ

歌って食べて恋をして。イタリア人の鉄板な価値観だが、私の親はもしかしてイタリアで浮気をしてきたのではないかっつうくらい、私のものの考え方はラテンだ。


音楽は、2歳から自発的に習い始めたピアノに始まり、十代ではデス、コア、正統派含めメタル一色。洋楽、ジャズ、クラシック、盆踊りの音頭や雅楽、ガムラン、ハワイアン、シャンソン、ビートルズ、祭囃子、カンツォーネ、オペラ、戦隊ヒーローシリーズの主題歌五十年ぶん全て。踊る時はオールドスクール系のブラックミュージックをかける。BIGBANGから始まってBTSもかけて踊る。うーん音楽の歴史は巡るよねミスターマッカートニー。流行は螺旋状に進化するって言っていたっけ。


以前初めて車に乗せてくれた時T兄(旦那さん)は、私のスマホに入っているお好みミックスをかけさせてくれたが、「お前の音楽の好みは狂っている」とのたまった。そう言うT兄も、いつまでも昔の特殊なダンス系聴いてるじゃん(←ヤンキー好みのやつである。三つ子のヤンキー魂)。


ごはんも同じで、よほどのゲテでなければどこの国のものでも多分食べられる。
海外渡航経験こそ少ないが、バリ島やベトナムに行ってエスニックを知ったのは大きい。
今は出かけなくても、リュウジさん始めネットやメディアに料理のスーパーヒーローがいて惜しげもなく動画を披露してくれるので、新婚早々旅立たなければならなくなったT兄の留守宅を守りながら、毎日のんきに自炊を楽しむ。ちなみに写真は、クレープのような生地をフライパンで焼き適当に作ったオードブルを載せた昼ごはんで、本当はピンチョスを作りたかった。好きなのである。にしんのマリネとか串ごとちょいとつまんで飲むの。


そう、酒と煙草が三度のめしと同じくらい好きなので、作るものが自然、肴になる。生家が居酒屋だったため、年端も行かないうちからその手のものを覚えこまされ(飲み食いするほう)た。よって今や実年齢の倍の年齢ぐらいの立派な「飲兵衛の爺さん」と言っても過言ではない。しかし体も弱り、酒量も食事量も減った。なればこそ安上がりかつ上質な食を日々目指したいものである。


てか自分も向上させないと。淡いものの味が分かる体質になるようにするとかさ。湯豆腐とか食べる奴はクレイジーさ、あんな味のないもの、なんて言ってたが、最近豆腐などによろめいてる自分を感じる。唐揚げだー焼肉だー頭ライスだーとかを肴にとか言えなくなってる、弱ってる。T兄も、独り身をいいことにマックやから好しとかすき家ばかりだったが、戻り次第淡い色に染める計画である。私より三つ上のT兄、落城は時間の問題かと思われる。


食事を作っていると、時々、こわくなる。
これ、もともと、生きてたんだよ。
そう感じると、申し訳のない気持ちに襲われる。


ヴィーガンにはならない。これまで通り、許される限りの肉も魚も食らう。宗教も特にないし(神社でお辞儀をするのは好きだ)。
その「でん」でいえば、当然植物の食材ももともと生きていたものだ。何も食べられなくなる。
だから調理をしながら、謝り、祈る。そして一欠片も無駄にしないと誓い、それを守る。
そうやって作られたものは美味しく、沁みる。体をつくるだけのことではない。悲しみであるし、また歓びである。
そして食後の腹ごなしの短い午睡。それが出来る、という望外の幸運。


やがて自分が世界に還る時、人間だけが他の生物のものの役にも立たないのは、寂しいことだと思う。だからってサメに食われるとかはイヤですよ。済まない、サメ。フカヒレは断ってるから。


そして、恋。
これは酒と並んで、どうしようもない私の好みだ。
人を好きになるなんて、これほど不条理でエネルギーを消費して疲れる、そして狂おしいほどに楽しいこともない。
同じ民族であっても、恋の相手は外国人のようだといつも思う。
通じない、すれ違う、なのにだんだん共通になっていき、同じものを見て喜んだり悲しんだりするようになる。
つまり二人の人間が、コミュニケイトしながら進化していく過程が恋だ。その説を用いれば、結婚して何十年共にいようが恋は終わらない。人は変化し、世は変化し、昨日見た相手は今日はもうすでに違う誰かだ。


その国、その音楽、その味は、出会い、聴き、味わうほかにない。好いても嫌っても自由、食わず嫌いも自由だが、私は聴き、気に入り、味わい、この上なく好きになってしまった。


この黄桜可憐でルフィなヨホホイの性質を他の人間への浮気で台無しにしないためには?


人間以外の無数の生き物、植物、よりいっそうの音楽ジャンル、そして数え切れない子どもっぽい遊びに、私は夢中になり、いつもT兄にそれを伝えては笑う。早く帰ってきてよ、一緒に遊んで!と、彼のあらかじめ失われた幼い娘、あるいは息子になりかわって。
一緒に遊びたい。
一緒に食べ、笑い、ねむり、語らい、老いてゆきたい。それまでに、たくさん一緒に遊ばなくっちゃ。


猫は十年以上生きると猫又になると言われたが、歌って踊って恋をする人間が五十年生きると、幼児になってしまうらしい。

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