【嫌いなアイツとゾンビと俺と】第8話

 ゾンビの群れをかいくぐり、角へと曲がろうとした時だった。

「っ」

 細い裏路地から現れたゾンビが、ギュッと歩樹の左腕を掴んだ。
 ゾクリと背筋が粟立った歩樹は、腐臭を嗅ぎ取ると同時に、生きた人間の手よりも柔らかくぬめるゾンビの手の感触を初めて知った。怖気が全身を埋め尽くしたが、右手に持つアタッシュケースを見て、自分のなすべき事を考えた。

「空斗、アタッシュケースを! 俺の事はおいて行け!」

 思いのほか強い力で腕を引っ張るゾンビが、大きな口を開けて、迫ってくる。
 チラリとそちらを見れば、紫色の舌と唾液が見える。
 空斗はアタッシュケースを一瞥してから、向き直るとゾンビの腕を切り落とした。

「!」

 優先すべきは、アタッシュケースだったはずだ。それを届けるのが、自分達の目的であり、使命なのだから。

「噛まれなかったな?」
「あ、ああ……でも、なんで……」
「――置いていけるわけがないだろ」

 歩樹はまだ自分の腕を握っているゾンビの手を掴んで血に投げ捨てながら、空斗を見る。真剣な表情は険しい。それは最初から変わらないが、考えてみると駅ビルで最初にゾンビを目にしたその時から、口ではどう言おうと、空斗が己をおいて行く様子が無かったことに、今さら気がついた。

「空斗」
「なんだ? お喋りをしている暇はない。早く行くぞ」
「お前、優しすぎる。次にこういうことがあったら、ちゃんと一人で先に行けよ」
「優しいお人好しは歩樹だろ?」
「表面的にはそうかもしれない。でも、俺みたいなのは……その、上手く言えないけど、ただの偽善者だと思う。だけど空斗は、そうじゃない。俺、俺のせいで空斗までゾンビになるところなんてみたくない」

 つらつらと歩樹は語りながら、空斗の隣に並んだ。
 すると空斗がじっと歩樹を見てから、不意に微笑した。

「だったらその銃を、無用の産物にせずに、俺についてこい。二人で切り抜ければいいだろ。俺は、ゾンビになったりしない。だから、歩樹。お前もだ」

 その笑みを見ていたら、言葉がすんなり心に響いて、胸を打たれた。
 だからニッと歩樹が笑う。漸く、ゾンビに腕を掴まれた衝撃から解放されて、いつもの前向きで明るい気持ちが戻ってくる。

「おう、そうだな! きちんとこの銃、つかいこなしてみせる。空斗こそ俺についてこいよ?」
「誰にものを言っているんだ」

 こうして二人は、再び走り出した。
 一番星が輝きはじめて大分経ち、空の月が傾き始めた頃、二人は周囲がよく見える公園で少し休むことにした。この場所ならば、ゾンビに急襲されても、すぐに分かる。

 そこには小屋があったから、交互に見張りをすることにして、少し横になって体を休めることにした。決して睡眠をとるわけではない。疲労を癒やすのが目的だった。

 最初に見張りを担当することになったのは空斗で、壁に背を預けたのを見てから、歩樹は小屋の中に入る。かび臭い小屋の中には、災害などの非常時に公園で配られるはずの毛布などが入っていた。それを一枚取り出して、歩樹はくるまる。しかし睡魔がくるわけでもなかったから、無理に横にだけなった。

 これまでずっと二人でいたこともあり、一人きりの空間が逆に不思議にさえ思えてくる。

「なぁ、空斗」

 思わず話しかけると、一拍の間を挟んで声が返ってきた。

「なんだ?」

 壁越しに響いてきた声に、ホッとしながら歩樹は言葉を探す。話題があったわけではないからだ。

「その……お前って良い奴なのに、なんで学校では、そういうところを見せなかったんだ?」
「仮に俺が善良な人間だったとしても、それを他者に理解して欲しいとは思わないからだ」
「今の俺は十分理解してるけどな。それに、今なら女子が騒ぐ気持ちも分かる。お前は格好いいよ。俺さ、考えてみると、空斗のことが羨ましかったんだと思う。格好良くて、隙がないっていうか。隙がなすぎて、本当のことを言えば、むかついてた。気取ってるって言ったのも、本当はただの嫉妬だったんだなって今なら分かる。ごめん」

 壁越しであるせいなのか、思考がつらつらと言葉になる。零れだした自然な気持ちを、思わず歩樹は吐露した。すると息を呑む気配がしてから、その場に沈黙が横たわった。

 こんな本音と懺悔を聞かされても反応に困るだろうと、歩樹は苦笑しかかる。
 その時、ゆっくりと空斗が話し始めた。

「羨ましいと思っていたのは、俺の方だ」
「え?」
「他者に理解されなくてもいいと思うのは、理解されなかったときが怖いからだ。誰も理解してくれなかったらと思うと、恐ろしくて俺は人の輪に踏み込めない。だから本当は、クラスのみんなと仲が良い、人気者で輪の中心にいる歩樹が、ずっと羨ましかったんだ。俺の方こそ、酷い嫉妬だ。ただな」
「うん」
「――実際にこうやって、お前と接してると、お前が輪の中心にいるのがよく分かったよ。俺を良い奴だと歩樹は言ったけどな、俺から見れば、やっぱりお前はお人好し……いいや、心根が温かい。そばにいて、ホッとする」
「!」
「それにお前は、いつも他人のために頑張ってる。自分のことになると戸惑うくせに、俺が襲われそうになった時は迷わず銃を撃ってくれたし、先程だって自分のことよりもアタッシュケースを優先しようとした。俺には、出来ない。俺の場合は、お前を助けるのだって、あるいは一人になりたくないからかもしれない」
「……」
「でもな、そばにいるのがお前で良かったよ。俺は、一人でなくてよかった。歩樹がそばにいてくれるから、他者を思うお前がいてくれて、そうして一人ではないから――物理的な意味合いではなく、俺の事を考えてくれるお前がそばにいるから、今、頑張れる」
「空斗……」
「だから必ず、二人でアタッシュケースを届けよう」
「ああ。そうだな」

 そこで会話が途切れた。毛布にくるまり、自分達はお互いに嫉妬しあっていたのかと苦笑しながら、本音で話せる仲になれたことを、嬉しく感じる。思わず口元を綻ばせた歩樹は、それから少しだけ、微睡んだ。


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