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散歩、コーヒー、ひかり


ぼくは、いつもは春よりも秋の方が好きだと思っているけれど、長い冬が終わり春を迎えると、春がいちばん好きだと大きな声で叫びたくなる。 

ぼくにとって、暗くて、寒くて、かなしい記憶が刻まれた冬。夜に似ているから苦手だ。寂しい夜が何ヶ月も続くのだから、ぼくの元気がなくなるのは当たり前かもしれない。



暖かくなると、嬉しいことがいっぱいあるね。 

 朝起きたときにくしゃみをしなくて済む。 
 何枚も重ね着しないから体が軽い。
 体の力が抜けて疲れにくくなる。
 空が青くとろけている。
 植物がつやつやしている。
 葉にあたる陽の光が眩しい。
 花が鮮やかで芳しい。
 鳥のさえずりが柔らかい。
 アイスクリームがおいしい。
 部屋に差し込む夕日が温かい。
 こわい夜が短くなる。


冬の間、用事がない日はずっと家で縮こまっていた。外に出なきゃと思いつつ、なかなか出かける気になれないものだ。今は、用事がなくても外に出られるようになっている。昨日も今日も、絶対に外出しなければならないわけではなかったけれど、気分がよかったから近所を散歩した。スマホの中に、明るい写真が増えていく。

からだじゅう、温かいベールに包まれる。守られているような気がする。日差しを浴びた頭は熱を帯び、まるで、大きな手で撫でてもらっているみたい。道の真ん中でお昼寝をしたくなるような安心感。突然ジャンプしたくなるほどにエネルギッシュで、近くの人に「見て見て! こんなに高く跳べた」と笑顔で自慢しそうになるぼくは、子どものときの自分のようで、少しうれしい。



散歩から帰ってきて、ぼくは久しぶりに家でコーヒーを淹れた。4、5ヶ月くらい前から、自分はコーヒーを飲みすぎているような気がしたから家でコーヒーを飲まないようになった(その間、付き合いのため外で数回飲んだが)けど、1日1杯と決めてまた飲み始めることにした。 

フィルターのなかで踊るコーヒーを見て、1年前の春を思い出す。大学の授業を家で受けるようになり、ぼくは毎日お昼ごはんの後にコーヒーを淹れるようにしていた。眠気覚ましのためでもあるし、コーヒーを淹れる間、午前中ずっと座りっぱなしで疲れた体をほぐすためでもあった。それまではあまり気にしていなかったお湯の注ぎ方も、いろいろ調べて模索した。家にコーヒーミルがないためいつも粉のコーヒーを買っていて、詰め替えるたびに、開けたばかりの袋の中から広がるコーヒーの香りを楽しんだ。


そういう生活が、営みが、ぼくは本当に大好きだ。ふとしたとき、自分や、周りのいのちが、ぱっと光る。生活はそのような瞬間で溢れていて、それに気づくたびに、心がきゅうっと震えるのだ。

 

数ヵ月ぶりの家のコーヒーにほっとする。外のコーヒーもおいしいし、プロが淹れたコーヒーの良さに驚くこともある。でも、小さいころから使っているマグカップになみなみと注がれた、飲み慣れた味で熱々の、自分が淹れたコーヒーを強く愛している。


1年前の春と違うのは、コーヒーを淹れるぼくの指に小さく光る指輪があることだ。大好きな作家さんの指輪。やっと自分にしっくりくる指輪が見つかって、買おうと思えて、今こうして手元にあることは、ほんとうに幸せなことだ。ぼくは、右手の薬指につけるようにしている。指輪をつける位置によって様々な意味が込められているらしく、ぼくは「心の安定」を選んだ。くるくるとお湯を注ぐ右手は、静かに生活の光を湛えている。「大丈夫だなあ」と思える。 


夕方、おやつの時間。ひとりで甘いお菓子とコーヒーを味わい、にこにこする。日々のやるべきことはなかなか満足に進まないけれど、今日みたいな夕方のことは、忘れてしまわない程度に大切にしたい。

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