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論文を読む意義は、学問の定義から考える

最近Twitter上で「論文」についての議論が勃発している。
大学4年生、修士学生や博士学生など、卒業のために研究成果を論文という形でまとめる方々が、集中して執筆作業を行う時期だからだろう。

「論文の読み方が分からない」
「論文の書き方を指導教員にちゃんと教わっていない」

このような悩みが散見される。
こうなってくると、「そもそも論文を読む意義・書く意義って何?」という疑問が湧いてくる。

もしあなたが理系の大学を出ていたり、過去に卒業論文や雑誌論文を作成した経験があるならば、少なからず反応してしまう話題だと推察する。

また、このブログに足を運んでいるということは弊社の関わっているメディアを恐らく認知していると思うので、「論文」に対しては一般より感度の高い方々だとも思う。

論文とは何か

そもそも、論文とは何か。長崎外国語大学の戸口先生が自身のWebサイトで東郷雄二氏の著作を引用している。分かりやすい説明だと思うので私も引用させていただく。

論文とは、特定の学問上の問題について、十分な論拠をもとにして、主張や証明を行なう、論理的に構成された著作である。 ... 論文には読む人を説得するだけの論拠と論理が必要である。

「論文とは何か― 東郷雄二『文科系必修研究生活術』より ―」より引用)

上記は文科系の研究についての言説であるが、理科系の研究に対しても同じことが言える。理科系の場合は、実験などから得られたデータを基に理論的・論理的な解釈を展開したものが上記の「十分な論拠」にあたる。

学問とは何か

論文が、「特定の学問上の問題」を扱うものであることは分かった。では今度は、学問とは何か。文部科学省のWebサイトで語られている説明を引用してみる。

学問の意義は、人類の知的認識領域の拡大である。それは、個人の知的好奇心を満たすということを超えて、人類共有の知的財産の拡大を意味している。

「「学問」について」より引用)

つまり平たく言えば、学問とは「皆が賢くなるために行うこと」という訳である。

ということは論文を読むことは「私が賢くなるための作業」であり、論文を書くことは「皆が賢くなるための作業」である。
平たく言いすぎているが、大体合っていると思う。

私と論文の関わり

私が過去に執筆した論文は大学の卒業論文と大学院の修士論文の2稿である。それぞれ、タイトルは下記である。

・超高速微小粒子衝突に耐えうる超高強度繊維織布
・FT-ICRによるCNT触媒二元金属クラスターと有炭素分子の反応分析

学士の研究ではスペースデブリの衝突から宇宙機を守る柔軟なシールド材料の研究をしていた。また、修士の研究では新しい材料であるカーボンナノチューブの生成に関係する触媒の化学を研究していた。

雑誌論文については執筆した経験はないが、職業柄、毎日のように論文を読んだり探したりしている。逆に、卒業論文は読んだり調べたりする機会は少ない。

論文を読むのが必要な仕事

大学を卒業してからも論文を読む仕事は、珍しいと思う。
恐らく、下記のような方々が該当するだろう。

・研究開発(大学、研究所、企業問わず)
・メディア関係者(特に学術系のメディア)
・医薬情報担当(MR)
・特許関係職

論文を理解するのが必要な仕事

「論文の内容を理解したい」と思っている方々は上記の他にもいる。例えば、以下のような仕事を行う方々だ。

・市場調査、分析
・事業開発管理
・経営コンサルタント
・競合情報分析
・製品管理
・定量的データ分析
・起業家
・金融アナリスト
・教師
・ライター
・技術移転職

アイブンはAIに関わる論文を解説しているメディアなので、上記のような方々が読者につき、メンバー登録していただいている。さらに、論文調査・論文解説をパーソナルで行うサービスの顧客も同様だ。マニアックなことを行っているので、弊社のような小規模ベンチャーでもビックリするような大企業から依頼が来る。

まとめ

もしあなたが「論文を読む意義って何?」と疑問に思ったならば、まずは基礎に立ち返って考えてみることをお勧めする。基本的には、論文を読むというのは「人類の共有知的財産を知って賢くなる作業」である。
さらに進んで、目的について考えるならば、論文を読む目的は立場によって異なる。

仕事上で、必ずしも論文を読むことが即座に成果へと繋がらなくとも、あなたの仕事に付加価値を作る習慣であることは間違いない。
なぜなら、人は他人の発言に「論拠」を求める生き物だからだ。

そして、仕事を抜きにしても、論文を読むことは知的好奇心を満たす趣味として成り立つ。論文を原文で読む時間がないならば、そのためにアイブンなどがある。

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