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あの頃の海外への興味はいつしか、『海外で働きたい』という今の願いに変わっていた

初めて海外に興味を持ったあの瞬間は、おそらく大学2年か3年の頃だった。大学の暗い廊下を歩いていると、掲示板に英語学習のための短期留学のチラシが貼ってあった。いつも気にしてチェックしているわけではないので、見かけたのはほとんど偶然だった。このときに、行ってみたいという気持ちがすっと浮かんできた。理由はわからないが、これまで私の見えないところに潜んでいた『新しいことに挑戦したい』という情熱が、そのチラシをきっかけに見えるところまで浮上してきたようだった。あまり迷わずにやると決めて親に相談すると、思ったより大事(おおごと)として喜んでくれた。父と母の驚きと喜びと緊張が、電話越しにもひしひしと伝わってきた。そこで初めて海外へ一人で行くという挑戦が、気軽な挑戦というよりは、腹を据える系の挑戦であることを認識したのだ。それでも、もっとぐっとやる気が湧いた。行先はニュージーランドで、確か2週間程度の短いものだった。
私の英語の成績は芳しくなく、その留学先でもあまり成果は上がらなかった。それでも、海外へ一人で行き、ホームステイをし、バスに乗って学校に通い、休日は向こうの友達と出かけるという短い挑戦の数々は、その時の私にとっては貴重な経験となった。自分の意思で、物理的にも広い範囲で行動できることを体感でき、自分に自信がついた。もっと自由になれる!と漠然とした、でも確かな喜びを感じた。自由であることが自分を形成する大事な価値観であるとその時気が付き、今後はもっといろんなところに行けると思った。

あの時ふと浮かんできた、行ってみようと思ったあの情熱が、私の性格を形成する一部だということは、今になってわかってきた。『新しいことへの挑戦』というよくあるワードだが、私にとっては行動を決定するために重要なワードだった。ふと気づいた時にはそこにある。理由は説明できないのに、絶対的な熱さを持っている。直感というのかもしれない。ただそれはさっきも書いたように、いつもは潜在意識の方にひっそりとしているのが、なにかをきっかけに顕在意識の方へと移動される。それは誰にも止められないもので、出てきてしまうと元の場所へ戻すことができない。そしてその情熱はあれから何度も形を変えて成長し、いつしか『海外で働きたい』という今の具体的な願いへと変化していた。やってみたい。英語は今でも苦手だけど、あの時よりは話せるようになった。英語の勉強の意欲は山あり谷ありだということも気づいているから、谷になっても焦らない。勉強しただけ比例して伸びるわけでもないことを知っているので、すぐにできるようにならなくても焦らない。コロナで海外旅行へ行く機会が無くなってしまったおかげで、英語をしっかり勉強するいい機会になった。沸々と熱さを保つこの『願い』を、私は私のために叶えてあげることができるだろうか。乞うご期待。

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