カービィ

 先ほどカービィのゲーム実況動画をみていた。exeというホラーパロディ化されたゲームであった。そこでは、普段カービィの行く手を阻む、敵キャラクターからみた視点で、カービィが悪魔のように表現されていた。確かにカービィは喋らず、無尽蔵に吸い込むものだから、敵から見たら恐ろしいわけである。俺はカービィに対して何の思い入れもない。何の思い入れもないが、ひとつ思い出したことがある。小学生の時のことだ。
 静岡県の小学2年生だった当時、通っていた学校では高学年の生徒たちと低学年の生徒たちで徒弟を組ませるという、今思えば妙なシステムが存在していた。小学2年生の俺は、小学5年生と組むのだ。高学年の子供たちは低学年のヒヨっ子から見れば巨大で逞しく、頼もしいところのある兄貴にみえた。大抵、皆は年下に優しかったから、人懐こかった俺は存分に甘えたものだ。俺と徒弟を組んでいた5年生は大樹くんといった。大樹くんは、少し独特なところがあったが、性格に問題があったわけではない。俺はよく遊んでもらった。
 大樹くんの独特なところとは、彼の趣味の問題である。彼はカービィが好きであったのだ。カービィが好きすぎて、総合の時間で「将来の夢」についてアンケートを取ったとき、他の子供たちが消防士や画家、看護婦など思い思い職業について書いている中、彼だけは「カービィ」と記したほどである。その独特さゆえか、彼は酷くいじめられた。カービィについて、からかわれたのだった。だが彼は何故カービィになりたかったのだろう。
 中学生になり、俺は親の転勤で育った地域を離れた。彼とも当然、疎遠になっていたが、ある日とある学園ドラマに俳優として出演しているのを見たことがある。兄貴などは同じ学年だったせいもあって、しきりに知り合いだということを吹聴しまわっていたが、まあよくある話である。
 ところで、Twitterのメンヘラ界隈を徘徊していると、度々カービィ好きに出くわす。鬱病患者が、カービィをアイコンに設定していたりするのだ。この現象は不思議である。カービィは喋らず、黙々と行動する。黙々とプププランドの平和のためにワドルディやデテデ大王と闘う。お腹一杯食べた時は嬉しそうに、「ペポ」「ポヨ」と喚くだけである。原始的である。だが、原始的であるがゆえに、私たちには無いものを持っている。そりゃ、満員電車に揺られて、ストレスの溜まる社会人生活を送るより、カービィの生活のほうが良いに決まっているわけだ。
 大樹くんは何故カービィになりたかったのだろう。今なら、俺も少しは人の世の下らなさを噛みしめてきたつもりだから、何となくわかる気がする。君はカービィになりたいと思わないか。俺はなりたいぞ。

#メンヘラ #鬱病 #カービィ #人生 #随筆 #エッセイ

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