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【小説】にわとりたまご🥚 第5羽

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≪第4羽をを読む🐥

🥚高橋さき

電話が鳴った。
壁にかけた時計を見るとまだ朝の7時10分。

一般的には営業時間外のこの時間にわざわざ電話?
ついに私にもシステム障害対応の順番が回ってきてしまったということか、と血の気が引いていく。

「はい、もしもし高橋です」

覚悟を持って応答したものの、電話の相手はありがたいことに同僚やクライアントではなかった。

「あ、昨日はありがとうございました、笹本ひだかです。すみません、こんな朝早く」

昨日会ったひだかさん。
まずはシステム障害ではなくてよかった。

けれど、今度ははじめてのマッチングアプリでのデートで何かやらかしたのではないかと、いくつものシミュレーションや想定ケースが頭の中を走っていくけれど、これもどうやら違うようだった。

「急なことでほんと申し訳ないんですけど、ちょっと今から送る住所に来てもらえますか?」
「はい!?」
「昨日来てもらったコンビニから徒歩3分もかかりません。では後ほど」

がちゃんと電話を切られる。
いや今日午後から映画見に行くって約束してたじゃん、なぜこんな朝早くからなんだろう、と思いつつ、顔を洗って出かける支度をする。

突然だったけれど、こうした緊急のお願いには慣れていた。

仕事なら、クライアントに緊急で開発してほしいと言われたら、無理くりスケジュールをあわせた。

恋愛でも、前の彼氏と付き合っていた当時は、当日に「ここ来て」と言われたらどこへだって行ったし、「家行くね」と言われたら掃除をした。

どんなことも断らない、というかうまく断れないのが私だった。
他人の思いを憶測して、断ってしまったときの相手の顔を勝手に思い浮かべる。

断る理由も思いつかないから、動くしかない。

送られてきた住所を検索してみると、近所にそびえたつ48階建てのタワマンの最上階。

昨日のコンビニからは確かに徒歩3分圏内。私の小さなワンルームのマンションからも徒歩10分程度で行ける距離だった。

彼自身の家に招待されているのか、家思ったより近いな、職場のあのコンビニも近そうだからそうか、しかしコンビニでの給与でタワマンは住めるのかとか、いろいろ疑問は湧きあがるけれど、その前には体がもう準備を進めていて、ものの10分で準備。迅速に駆け付ける。

高層ビルが太陽光を隠すから、梅雨明けでコンクリートを焦がすような暑さにはまだ見舞われないで済んだ。

薄いタンクトップでジョギングをする人、ゆっくりと休日出勤をするスーツ姿のサラリーマン。

彼らを横目に、人もまばらなオフィス街の中を走って目的地へ向かった。

エントランスに入ると、通勤時に通り過ぎていくフランス料理店みたいな、橙色のムーディーな間接照明が灯っている。

これが、みんなに憧れられてはルサンチマンを抱かれる入居空間か、と感慨に浸る間もなく、高速エレベーターに乗って最上階へと向かっていた。

48階に到着して目の前にまず広がったのは、正方形のそれぞれの辺に沿ってずらりと並んでいる扉、扉、扉。

扉に囲まれた廊下部分は吹き抜けになっている。
身長160cmの私の胸と同じくらいの高さの塀はあるけれど、特に背伸びをしなくても下の方の階まで見える。

無限に続いていく、全く同じ構造の階。
若干高所恐怖症気味の私は足の感覚がひざから下に向かって消えていく思いがして、さっさと連絡された部屋にたどり着こうと歩みを早める。

「すごい、思っていたより早かったですね」

到着したのは、電話がかかってきてから35分後。ひだかさんもびっくりだ。今度システム障害が起こって出社するとなっても大丈夫そう。

「何があったんですか?」
「詳細は後ほど、さあこちらへ」

ひだかさんに誘導されるがままに、人が5人くらい並んでも入れそうな大きな玄関を通過し、右手に曲がってスライド式のドアを開ける。

自分の背丈よりも大きな窓がいくつも並び、それぞれに東京の街がとても小さく映る。

YouTubeで時々話題になる粘土でつくられたミニチュアの街の動画を見ているんじゃないかと思うくらい現実味のない風景。

それを背景に、真っ白で汚れ一つないソファや、外枠が信じられないくらい小さなテレビが並ぶ。ここはリビングのようだった。

部屋の中央、テレビの目の前に配置されたソファの上には私と同じくらいの年齢の人が横たわっていて、高校生くらいの子がその近くで立っている。

ソファで眠る人のことを、私は誰だか知っていた。
セミロングのピンクグレージュ、華奢な手足……。

「みいあちゃん!?」

衝動的にみいあちゃんが仰向けになっているソファにかけよる。耳を口元に持っていく、か弱いけれど小さく息を吸って吐く音が聞こえる。ひとまず生きてはいるようだった。

「なんでひだかさんの家にいるんですか!?」
「ここは僕のじゃなくて、ほのかちゃんの家なんです」

ひだかさんが指をさしたのは、ほのかちゃんと呼ばれた高校生くらいの女の子だった。

「私の家っていうか、なんというか、まあ」
彼女は少し居心地悪そうに、壁を見つめていた。

「ひだかさん、もしかしてこの方に全然説明してませんか?」
「してない」

ほのかちゃんは小さくため息をつき、「急に来てもらっちゃって申し訳ないんですけど」と、少し自信なさそうにことの次第を話してくれた。

彼女によれば、みいあちゃんはこのマンションの廊下でぼんやりしていたらしい。

ぶつぶつと何かをしゃべっている小さな声がする。
そんな違和感を覚えて朝6時ごろに玄関を開けてみたところ、廊下で体育据わりのままうずくまるみいあちゃんを発見したという。

「まずみいあちゃんを発見したので、とりあえず廊下じゃ暑いから、家に入れたほうがいいんじゃないかってとっさに思ったんです。このマンション、廊下だけ吹き抜けになってて夏はちょっと蒸すので。でも……」

ほのかちゃんは、部屋着のピンク色のズボンを強く握りしめながら、懸命にしゃべっていた。

「でも、声をかけてもうずくまったままで、どうしたらいいかわからなくなっちゃって、一番知ってて大人なひだかさんに電話しました」
「そうだったんですね……」

玄関部分だけ見ても、私の住んでいるワンルームより大きく感じたタワマンの一部屋。このだだっ広い家で、頼る人もなく、一人なのだろうか。

現状をうまく呑み込めず、少し黙り込んでしまった私を見て、彼女は少し補足を加えた。

「親とかは……まあ、ちょっと留守にしてて」
そう言い、ほのかちゃんは少し言いにくそうに唇を嚙んでいた。すかさずひだかさんが口をはさむ。

「何にせよ職場から近いので、僕は向かうことにしましたが、高校生が一人で対応するのは無理だろうから、暴れるようなことがあれば容赦なく警察を呼べと電話越しで僕は伝えたんです」

彼は腕を組みながら、みいあちゃんの近くに寄り添う私たち二人を見て言う。

「しかし、少しみいあさんと接触してみて、ここに必要なのは救急隊でも警察でもないなと僕は判断して、さきさんをお呼びしました」

救急隊でも、警察でもない、私が必要。
ひだかさんのことばは、コーヒーにとけて苦みを柔らかくしてくれるミルクみたいだった。

第6羽につづく🐥≫

好きなお寿司はなんですか?