【小説】にわとりたまご🥚 第6羽
🥚高橋さき
みいあちゃんは、ほのかちゃんの家に運び込まれてからずっと横になっている。私が到着してしばらくしても起き上がらないから、相当疲れがたまっているようだった。
「ここに必要なのは救急隊でも警察でもないなと僕は判断して、さきさんをお呼びしました」
さっきのひだかさんのことばを思い出す。
どのような意味だったのかを問いかけたけれど、
「なんとなくです、気配りができそうだからかな」
と、猫みたいにうっすらと口角を上げて、微笑んでいるのが真顔なのか微妙な表情をして返されるだけだった。
ほのかちゃんはというと、私がすっ飛んできたことに申し訳なさを感じきっていたみたいだった。
「なんか、本当にすみません……。私があまりうまく対処できないばっかりに、さきさんまで面倒をかけることになってしまって」
彼女は、礼儀正しく、何度も私にお辞儀をしてくる。
「いえいえ、そんな! もともと休日で、やることがあったとすれば、ひだかさんと映画に行こうかって話をしてたくいらいで。何にせよお互いこの場にいますし」
そう言ったのだけれど、「いやいや申し訳ないので」と言い、朝ごはんを作り始めた。
白を中心にデザインされたキッチンには、出方が10種類近くありそうな蛇口、IHの3口コンロ、3人分くらい同時に立てそうなキッチンカウンター。
ここまで広々していると私なら掃除するだけで疲れてしまいそうだけれど、ぶら下がる鍋や調理道具、食材などが綺麗に並べられていて、ほこりひとつついていないようだった。
「家、ほんとに綺麗にしてますね」
「えと、昼の間はお手伝いさんが来てくれるので」
ああ、ええと、とほのかちゃんは目線をあちこちに飛び散らせる。
「全部お手伝いさんのおかげです。わたしは全然何もしてないです」
彼女は手を横にブンブン振って、否定する。そのままの手で、たまごサンドをつくる準備をはじめた。
お湯を一杯にした鍋、沸騰したお湯。
たまごを6つ、落としていく。たまごたちは沈んで、お湯から立ち上ってくる泡を受け続けていた。
立ち上る湯気は、巨大な窓から差し込んでくる光を浴びて、きらきらと輝いていた。休日もせわしない、東京の朝の光。
たまごをゆでている間に、ほのかちゃんは手際よく食パンを半分に切っていく。
「私も手伝いますよ」
「ええ、いいんですか」
私は、こつこつ、とまな板の近くでたまごを打ち付けた。
このキッチンはつるつるな人工大理石でできているから強度があって、私の家のローテーブルとは大違い。たまごはすぐに割れて、剝き始めることができた。
ほのかちゃんは、スプーンの柄で何度かたまごをたたいて、割っている。
テーブルの角で打ち付けるよりも、ピンポイントで力が入るし、たまごの割れた小さな殻が飛び散らないみたいだった。
「それ効率的ですね」
「海外で、そうやってる人見て」
確かに、海外ドラマの朝ごはんの風景で見たことがある。たまごホルダーみたいなものがあって、その中に半熟のゆでたまごを収める。食べたくなったらスプーンでたたいて殻を割って、中身をすくって食べるんだっけ。
「ええ、素敵ですね! どこか行ったことあるんですか」
「小学生のころ、フランスに」
ほのかちゃんが今親指でえぐった殻は、いままでで一番大きかった。たまごの内膜がくっついたおかげなのだろう。
「父と、母と、行ったんです」
とれた殻を、彼女はぽい、と三角コーナーに放りこんでいった。
「そっか」
私から見たその横顔は、カカオ95%のチョコレートを食べたときみたいな顔をしている。口角を上げているけれど、上がりきらない。過去の記憶を呼び起こさないように、でも呼び起こされるものを舌のあたりで抑えるような。
2人で手分けをしたから、むきおわるのに要した時間はたった5分だった。
「綺麗にむけたね」
ほのかちゃんが、今度は腹の底からよろこんでいるように微笑んでいて、私はうれしかった。
「ここからは、わたしがんばってみますから、座っててください」
そう言って、彼女は銀色のボウルにさっき一緒に剥いたたまごを入れて、つぶしていく。マヨネーズ、塩コショウを入れて、つぶしていく。
つぶしていく、つぶしていく。
部屋の中に湿度のある音が広がる。誰もがじっとしていると、私が住む小さなマンションに響いてくる車の走行音みたいな大きな音に聞こえてくる。
それくらい、周囲から何も聞こえてこない。
防音対策がしっかりされていること、そしてタワマンの最上階にいるから、高すぎてマンションの外からの音がそもそも何もしないことに気づかされる。
この部屋は、きっと一人だけだと大きくて、ものがたくさんあって、とても静かなのだろうな。
私は、ダイニングの椅子に座って、彼女の料理の妨げにならない程度に彼女を横目で見たり、親指と人差し指で収まってしまいそうなくらい小さくなった東京タワー眺めてたりしていた。
「できました!」
ほのかちゃんは、今日の外の青空みたいな、水色が差し込まれたガラスのお皿に、たまごサンドを用意してくれた。
「わーほのかちゃんのたまごサンドだ」
ひだかさんも、声につられてダイニングテーブルにやってくる。
「餌をやったときの猫みたいですね」
「猫と同等なんて恐れ多いですねえ」
そう言って、浅くダイニングチェアに座った。
「いただきます」
一口食べると、たまごの淡白な触感と、マヨネーズの酸味が絶妙なバランスで混ぜ合わさっていて舌を喜ばせてくる。そう思ったところにコショウがぴりっと効いてきて、味に新しい次元をつくる。
「普段からよくつくるの?」
「……はい」
「すごくおいしい。私がつくるものより何倍も」
これはお世辞などではなかった。
私は冷凍ご飯すらうまく解凍できないし、そんな人間のすることだから、きっとゆでたまごをゆですぎたり、マヨネーズを入れなさすぎたりして、きっと何かが変な味になっているに違いない。
「わたし、都内の、私立の高校通ってるんですけど」
彼女はパンをほおばって、テーブルの木目に目線を集中させながら話し始める。
「ずっと、エスカレーター式で、あんまり自分で何かをやろうってなったことなくて。親は、家に全然いないんですけど、お手伝いさん洗濯とか掃除とかもやってもらえちゃうから、自分で、何もできないなって感覚があって。何か一つでもできることがあったらなって思って、毎朝つくってるものなんです」
ほのかちゃんの頬は桃色に染まっていて、ダイニングのあたたかな橙色の明かりに照らされて、より幸せな印象を私に残した。
「だから、たべてもらえてうれしい、です。てことです。すみません、あまりに美味しそうに食べてくれるから、ついしゃべっちゃって」
「コンビニでアルバイトできてるし、全然、何もできないなんてことないけどね。このパンもすごくよくできてるし」
「きっと、みいあちゃんにも喜んでもらえるんじゃないかな」
誰かに何かを与えられること、少しでも何かができること。
自分が満足できる、そう思えることをして、他人にも提供して、その満足を味わっていけたら。
そんなことを考えていたら、リビングの方からどさっと何かが落ちる音。と同時に、「いたっ」という小さな声が響く。
みいあちゃんが起きたみたいだ。
好きなお寿司はなんですか?