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【小説】にわとりたまご🥚 第3羽

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≪第2羽をを読む🐥

🥚笹本ひだか

「ひだかさん」
「はい」

さきさんと別れ、22時を少し過ぎた店内には、僕と店長のアタラさん、そしてシフトが終わったばかりのほのかちゃんしかいない。自動ドアの外の人手もまばら。

しっかりと確認したうえで、彼女は僕に話しかけてきた。

「また、マッチングアプリしてましたね」
「いいでしょう」
「いいですけど……」

彼女は目を伏せて、小さくため息をつく。
右肩に下げている、ピンク色の人型のシルエットが描かれた黒いトートバッグは、好きなアイドルか何かのグッズらしい。その持ち手をぎゅっと握って、僕に向きなおす。

「デートの最後に毎回誰か連れてくるのやめませんか? 人の領域に勝手にはいっちゃった感じしますし、相手困惑してますし」

「これが僕なりの相性の確かめ方なんだ。やましいことは全くしていないし、ここに連れてきて勝手に困惑して時に失望されて……困惑しているのはこっちだ」

ほのかちゃんは、口にたまっていた小さな空気をぽんと出す、そんな感じで笑ったのかあきれたのかよくわからない表情をしていた。

マッチングアプリで出会った人に、次会う予定についての話を振ったときの反応は、大抵3種類のタイプに分類できる。

一つ目は、一瞬ぎょっとした顔をした後、なんだか申し訳なさそうな顔をして帰っていく人。
二つ目は、にこにこしながら次回会う予定についての話をあからさまに避けるタイプ。
三つめは、ぜひぜひと言い、次会う予定もその場で立てるのに、SNSを全ブロックするタイプだ。

「しかしね、ほのかちゃん。今回出かけてくれた方はよさそうだ。ほのかちゃんの抱く苦悩は、もうじき解消されるようになるかもしれない」

今日ご飯に行ったさきさんは、どのタイプにも属さないようで、次の予定も映画デートということで明日組むことができたし、今のところマッチングアプリ以外の連絡手段も絶たれていなかった。

この超・売り手市場の現代において、東大卒でコンビニ店員なんて信じられない。それがマッチングアプリに生息する人間だけでなく世の中大多数の意見のようだった。

「東大」という肩書だけならば寄ってくる人間も、「コンビニ店員」と漏らせば離れていく。

僕は僕なりに論理があってこの仕事をしているけれど、ただレールから外れた人であるとみなされることが少なくなかった。

投げかけられるのは、かわいそうな境遇だと勝手に同情する哀れみの目、どんな生き方をしているんだと身ぐるみはがされるくらいに興味を抱く奇異の目。

東大をもてはやす人間、コンビニ店員に同情したり見下したりする人間。肩書だけで反応がコロコロ変わるようならばこちらからお断りだった。

「でも、どう? ほのかちゃんにもあるんじゃないかな。他者から付与されたことばを通過することなく、自分という体全体を目に収めてほしいと思う願いが」
「まあ、そうですね。否定はできませんけど」

お疲れ様です、早くひだかさんにまつわる苦悩が果てることを願っています、と言い残し、ほのかちゃんはコンビニを出ていく。

「ありがとうございましたー」
アタラさんは、直角にお辞儀をしてほのかちゃんを送る。
「アタラさん、わたし客じゃないですから!」

そう言って楽しそうにけたけた笑う声は、アイドルゲームの推し活応援キャンペーンの店内放送に溶けて消えていった。

流れてくるのはあくまでも音声での放送なのだけれど、提供される情報が完全すぎるから、僕はいつもこれを聞くとプラスチックのお弁当の容器を触る自分を想起する。

広告の内容を詰め込むために練られた一つのパッケージと、食事の見栄えをよくしながら栄養のある食料を盛り込むためのケース。隅から隅まで聞いて、触ってみる、そこから受ける感覚は、僕には似ているように思われる。

『対象商品を二点購入した方には、必ずクリアファイルをプレゼント!』
『先着順なので、早めのご購入を。俺たちを応援してね!』

蛍光灯の純粋で真っ白な光を一身に浴びながら、クーラーの風邪も直で受けてそよそよと前後に動くクリアファイル。

同じ店内音声を9回聞く、合間に風にそよぐクリアファイルを見る、まばらに来る客の対応をする。

そうしているうちに終電が終わって、ちょこちょこと何次会かの宅飲みするための団体が追加でアルコールを買っていったり、親しげなオーラの男女がスイーツとかアイスとかを買いに来たりする。

すると午前3時を過ぎだして、凪の時間がやってくる。

大抵この時間帯に暇だからぼんやりと空想にふけることが多いわけだけれど、今日は珍しく二人組の、比較的派手な男女が入ってきた。

女性の方はピンクグレージュのつややかな髪、細い手足とぱっちりした二重。首に太めなチョーカーをまき、黒いマスク。

梅雨が明けたの蒸し暑い時期には見ているこちらすら苦しくなってきそうな、ひざの丈ほどある黒いロングパーカーを着ていた。

男性の方はラフなTシャツを着ていて、光に照らされると若干青く光るように髪の毛を染めている。首からは社員証のようなものをつけていた。外し忘れたのだろう。

少しふっくらした顔とたれ目がビールジョッキに印刷された恵比寿様を思わせ、外の蒸し暑さで少し赤らんだ頬が温厚そうな雰囲気を一段と深みのあるものにしていた。

このコンビニの周囲には金融、コンサル、ベンチャーの三つが多いけれど、その中で髪を少し染めるような、ちょっとカジュアルな雰囲気をかもしだす彼が生きるのを許されそうなのはベンチャーだろうか。

女性のほうはなにやら不安そうで、レジにいる僕を見たり商品を見たり連れの男性を見たりして、全く落ち着かない。

飲料コーナーで何本かペットボトルを取り、レジ付近のお弁当コーナーでおにぎりをいくつかとカロリーメイトを5パック手に取る。

店内の放送は流れているけれど、黙りこくっている俺とアタラさんと、その二人だけでは話の内容もなんとなく聞こえてくる。

「ほんとにだいじょぶなの」
少しトーンの高い声で、男性の方に聞く。
「安心してください、手立てはありますから。一緒に、ね」

男性が店内を歩き回り、女性はその後ろをよたよたとついていく。
おにぎり・お弁当コーナーを眺め、いくつかのおにぎりとウィダーインゼリーをレジまで持ってきた。

女性の目のまわりの化粧は崩れていて、ベタベタしているようだった。
ほのかに赤く染まっている。

彼女は細い指にぎゅっと力を込めて涙をこらえているようにも見えた。

「お連れ様、大丈夫ですか。あまり顔色がよろしくないようですが」
「いえいえ! 大丈夫ですので」

若干不審に思って声をかけたものの、女性がうなずくよりも先にとなりの男性が即座に返事をした。

誰にも何一つ意見を言わせない、関わらせない、問題ないと異常に背を向けて張り切る姿勢。

誰もいない深夜3時の店内には不釣り合いなほど、大きくて張りのある声。カスタードクリームが詰まった、過度に甘いクリームパンを思い出させた。

少し声が大きかった自覚があったのか、唇をあわせて口をしっかり閉じている。彼の綿100%みたいなTシャツの脇には汗がにじんでいた。

買い物をすべてスキャンし終わると、コンビニ店員の役割はほぼ終わりで、あとは客が決済方法を選んで、支払ってもらうだけである。

ところが男性は、電子マネーを選択したのにうまく画面がひらけず、強い力で自分のスマホを指でたたいていた。ようやく出たと思ったらエラー。

「すみません、更新していただけますか?」
「ちっ」

舌打は、排せつなどとは違って絶対に体の自然現象ではなく、「私は怒っている」ことを表明する意図的な反応だから、聞くだけで少しストレスがたまる。

しかし、舌を打つという事象そのものには何の意味もないわけだから、いつから、誰が、舌を打つことに「私は怒っている」という社会的な意味を持たせ始めたのか。ということを考えて言葉で頭を埋め尽くし、心に沸きあがった波を、鎮める。

女性の方をみると、男性がぴりついた様子に少し恐れを感じたのか、ロングパーカーの裾を強く強く、しわができるくらい強く握りしめていた。

ようやく会計が終わると、男性は「じゃあ行こうか」と言い、また恵比寿様のような顔をして、女性の方を見た。

彼女はうなずくことしかできず、少し足を引きずったような、あまり乗り気ではない雰囲気でコンビニを出ていった。

「ちょっと、suspicious、ね」

再び店内放送に包まれた店内で、ぼそりとアタラさんがつぶやく。

「日本語だとあやしい、って言うんですよ」

第4羽につづく🐥≫


好きなお寿司はなんですか?