【小説】にわとりたまご🥚 第2羽
🥚高橋さき
「高橋さんってどんな仕事されてるんですか?」
緊張で、目を合わせることができない。
目の前に置かれた汁たっぷりのだし巻き卵。
わざわざ一口で食べられるよう四等分にされていたのに、手元のとりわけ皿でまたさらに二等分にしてしまう。
「私は、SIer、開発会社に勤めてます。小さめですけど」
私は八分の一ほどになった小さなだし巻き卵の切れ端を口にいれ、レモンサワーを流し込んだ。
前のヒモ彼氏と別れてから1か月半がたった。
関係を解消して直後の1週間は、喉が焼けるほど日本酒を飲んだ。
けれど心をむさぼる寂しさや昔の記憶は、服についた醤油のシミくらい落ちてくれなくて、一緒によく散歩した家の周りすら涙腺をゆるませてくる。
もうこれから誰かと付き合うことなんて無理なんじゃないかと思った。
けれど、一か月もしたら仕事の忙しさに翻弄されて、気づけばまた誰かと会ってみようという気持ちになれた(のは、私が薄情なのか、どうなのか)。
そこで、ものは試しでやってみたのがマッチングアプリだった。
過去の経験上、ヒモっぽい人は私がどこまでも深みにはまってしまいそうだから除外。けだるげな雰囲気の人、自称お酒好き、喫煙者は例外なくスワイプ。
結果的にマッチしたのは、今私の目の前に座っている、メーカー関連会社勤務の24歳の男性、笹本さんだった。学歴にはUTと書いてあり、何かと思って調べたら東京大学の略らしかった。
だし巻き卵、棒棒鶏、モモ、ハツ、ぼんじり、軟骨。
半熟卵のせポテトサラダ、フライドポテト。
レモンサワー、ハイボール。
品揃えは比較的安心感のあるものでありながらも、彫りが深くて木目がしっかりと見えるテーブルを利用したカウンター席。
照明が全体的に落とされている、ムーディーなディナーの場。
ここで、私たちはお互いに恋人としていかに適切かどうか、品定めをしているし、されている。
お互いの意図にさも気づいていないかのように、あくまでも自然体をふるまう必要がある、あるのだけれど、それを意識すると体がかたくなって、「自然体」とは何なのか、自分の中で哲学的な問いが始まってくる。
それに加えて、自分を支えてくれていたみいあちゃんの失踪によるショックもあって、私のなかではうまく頭がまわっていかなかった。
「社会人一年目でしたよね。今研修中とかですか?」
「いえ、実は一か月ほどで、もう仕事っぽいことはしてると思います」
ラテアートみたいな三白眼が私をとらえる。
ほう、と好奇心の鳴き声がする。興味を持ってくれているここでいざアピールタイムを、ということでことばに力がこもった。
「プロジェクトマネージャー、進捗管理みたいなことをやり始めました。開発がつつがなく進むように、開発側の予算とスケジュールとかを管理する、みたいなことをしています」
アピールタイムだと思ったけれど、そう思いながら話している自分がバカバカしく見えた。恋人探しというより、就職活動みたいだった。
「新卒一年目にしてはけっこう重たくないですか? すごいですね~。ベンチャーかなんかですか?」
いやちがうんですーと言いながらも、断らないことが功をそうしてそれなりの戦闘力がありそうな雰囲気の演出につながったかもと思うとうれしい。
続けて、私がかかわった仕事とか、お互いの大学時代の話とか、そういう初対面の人ならば必ず話すこととか、初対面の人に会ったときの会話パッケージを送受信しあうみたいな会話が続いた。
興味深い話ができた自信はなかったけれど、笹本さんは私の話にくすくすと笑ってくれていた。
笑うときに、右目の下のなみだぼくろが星みたいに規則的に動いているところが魅力的だった。さわやかながらも甘さのある感じ。
「さきさんって、好きなものとかあるんですか?」
しれっと、下の名前で呼び始めたところに人付き合いの多さがうかがえた。私が人の目を気にしてできないことを、この人はすいすいとやってのける。
急な距離感の詰め方に、自分が恥ずかしくなる理由もないのに恥ずかしくなってしまうが、なるべく平常心を保っているように話す。
「音楽とか映画とか……でも結局最近は仕事おわりにYouTube見てばっかですかね」
「やっぱり新卒時代は慣れないことも多くて大変そうですからね。僕も最近YouTube見ますよ。家にテレビおいてないので、ニュース番組の切り抜きとか、経済メディアとか見ますね」
「私も、情報収集としての意味もあるんですけど、美容系インフルエンサーのみいあちゃんとか、見てました」
私はYouTubeアプリを取り出して開いてみると、やっぱり一番上に過去の彼女の動画が推薦されてくる。
ライティングに照らされた透明感のある肌と魅惑的な二重の瞳、力が入りすぎていないピースをしているサムネイルを笹本さんに見せた。
「この子、アイドルもやってて。同い年だから親近感があって、ずっと見てたんですけど。昨日、急に引退するって動画を出してファンがみんなびっくりしてる感じなんです」
私は、タイトルに「あ」だけ書かれている、みいあちゃんが事実上の引退宣言をした動画を表示した。
がやがやとした居酒屋では彼女の悲痛の叫びはよく聞き取れないけれど、ぼんやりと暗い映像だけはその切迫感を伝えるのに十分だった。
笹本さんは顎に手を当て、目を大きくして画面を見つめていた。
「やっぱり、みいあちゃんってずっと化粧にまっすぐで、最近始めたアイドル活動も信じられないくらい努力してて、痩せてて。夢にむかってがんばってるのってすごいなって思ってたんです。また戻ってきてくれたらいいのになって思うんですけど」
「さきさんはやりたいこととかあるんですか」
「突然ですね、うーん」
考えこんでしまった。
言うなれば、私にはそういうものがないから、みあちゃんみたいな子を見て応援している。
列を乱さないように、相手を傷つけないように、誰かの迷惑にならないように生きてきた。
それで救われてきたこともたくさんあったとは思う。
しかし、今現在の自分が、果たしてこのままでよいと胸を張って言っていいものなのか、うまくことばにできなかった。
「今、個人でも発信しやすくなって、かなりチャンスが広がったと思いますし、何か夢を抱いて叶えるみたいなこともしやすくなりましたし、そういう熱意のある人たちが確実に可視化されるようになったとも思います。そういう風潮あると思うんですけど、私には正直そんなすごい、みいあちゃんみたいな野望とかなんてなくて」
炭酸の泡が上へ上へと向かっていくときのように、私の体に取り入れたアルコール分がどんどん頭にめぐっていく。
体と世界の境界線がにじんできた。
今日はすごく酔っているみたいで、普段まわりに漏らさないようにしている弱音が出てきてしまう。
「でもなくちゃダメなんですかね。私はそんな強さとか意思とかなくて大丈夫かなとか、焦っちゃうなとかって思っちゃって」
笹本さんはハイボールを一口すすった。
「そう自分が揺らぐ、焦るのって、どこまで行っても、自分のスタンスがないからじゃないですか」
「えっ」
「今の風潮に対して自分がどういう立場をとりたいのか、決めてないんじゃないですか。みんなが欲しいもの、結局欲しいだけなんじゃないですか」
温和な雰囲気を醸し出す笹本さんから突然放たれた言葉に、現実味を感じられずただぼんやりと彼を眺めていた。
頬を少し赤らめて何も返事をしない私をよそに、笹本さんは店員を呼びつけた。
「お会計おねがいしまーす」
ほどなくして店員が伝票を持ってきて、笹本さんは財布からカードを取り出して支払いをし、割り勘にして私も半分現金で彼に半額を手渡した。
前は私が全部払ってばかりだったから、誰かが先に払ってくれることがすでに新鮮だった。
「さきさん、散歩しませんか? 職場、近所なんですよ」
笹本さんと食事をしている間に夕立が降ったのか、外の空気は湿っている。
遠くに見える東京タワーの頂上は雲に隠れていて、ライトアップされたオレンジ色の光が漏れている。
アスファルトからたちのぼってくるにおいは、開発が活発な渋谷みたいな都市に生じる何かが腐った空気を清浄機に通過させたみたいだった。タクシーの交通量の割には綺麗で透明。
高層ビルの間をすり抜けていく七月の風は、素肌をかえるに舐められるみたいになまぬるかった。
酔いが徐々に冷めてくると、私がしゃべってばかりでそういえば笹本さんのことについてあまりよく聞けていなかったことに気づいた。
「そういえば、笹本さんって近くに職場があるって言ってましたけど」
「ひだかでいいですよ」
「じゃあ、ひだかさん。どんなお仕事されてるんですか」
「一言で表すのは難しいのですが」
笹本さん、もとい、ひだかさんは微笑み、お疲れ様で―すと言いながらコンビニに入っていった。
そして店舗裏につながる扉を勢いよくあけ、30秒もしないうちに出てきて、レジの前に立った。
「一つ言えるとすれば、僕はこの東京タワーが見える素敵なローソンのアルバイトです」
ひだかさんはレジの前で、マジシャンみたいに手を広げる。
同じくレジの前にいたアルバイトの高校生くらいの女の子は、ひだかさんを呆れたような顔で見つめている。
「どうでしょう。また僕と会ってくれますか?」
「……はい」
……まずは、仕事をしている人でよかった。
過去の悲劇を繰り返さないための、大きな一歩だと思った。
好きなお寿司はなんですか?