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【小説】にわとりたまご🥚 第7羽

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≪第6羽をを読む🐥

🥚高橋さき

「ほんとごめんなさい」

みいあちゃんは、ほのかちゃんがつくったたまごサンドをほおばりながら、うつむいている。

「お酒、飲みすぎちゃったかも」

自分がずっと好きで、私が人生を頑張れた理由が目の前にいる。大学受験も就活も、恋愛も何もかも、私のゆらぐこころを支えてくれていた人。

YouTuberだから距離が近い、ような気がしていた。実際に会ってみると、たしかに私と同い年に思えるような顔の若さはあるけれど、吸って吐いている空気が、何か決定的に違う。

目の奥から、何かをじっと見つめている、なにか私より大きなものを見ているみたいな。

芸能人を直接見ると、やっぱりオーラが違うよなんて話をよく聞いたけれど、それは本当みたいだった。

もぐもぐとたまごサンドを頬ばる手、彼女の指の間を通ったら空気すらもグレープ味のグミみたいなあまずっぱい香りに変わっていく気さえした。

「これおいしいね」
ありがとうございます、と声にもならない声を出し、口元に手をおさえながら感極まっていた。

YouTubeで見たときよりも細長くて綺麗、まつげも、手入れをちゃんとしているようで、長くてよく上に向いていた。

「みいあちゃんって、たまごみたいですよね」
「たまご?」
「水には、液体、気体、固体っていう三つの状態がありますよね」
「うん」
「たまごも、例えばなまたまごなら、ご飯と混ぜてたまごかけご飯になる。ゆでたらゆでたまごになる。焼いたらオムレツになる。ずっと、変われないわたしと違って、いろいろな形になれて、何にでもなれて、柔軟だなって思うんです」
「そうかな」

みいあちゃんは手を頭のうえで重ねて、のびをする。

「わたし、最初からYouTuberになろうとも、アイドルになろうと思ってずっと生きてきたわけじゃないの、私があの時できたなって思える、私に残された生き方がそれってだっただけで。まあもうどうせやめるんだけどね」

「なんでやめちゃうんですか、メイクもかわいいし、アイドルはじめてもほんと歌もうまいし、チャンネル登録者も何十万人もいて。私にはできないことをたくさんしていて。あこがれで」
「アイドルもそんなよかったかなあ」

みいあちゃんは、あと一口くらいのところでたまごサンドを皿の上におき、それを見つめている。

「でもほんと、うれしい。ほんとに。ありがとね。まだ公式発表してないけど、もうやめちゃうのは、殺害予告してきた人に住所特定されちゃったから」

もうどうにでもなれって感じだから言っちゃうけど、と自嘲ぎみに笑う。

「はい、これ」
彼女は私たちにYouTubeのコメント欄からインプレゾンビが湧いているXのリプライ欄から汚れたことばの掃き溜めみたいなインスタのDMまでを一気に見せてくれた。

きもい
田舎から出てきた人が無理してる感じダサい
・・・
自分のことちゃん付けしてんの痛
目離れすぎ
・・・
その顔で美容系インフルエンサー名乗ってるの草
鼻の形変わった? 整形?
・・・
そのゆっくりした話し方バカっぽいからやめろw
住所特定しました
・・・
みいあ死ね

「これまではずっと罵詈雑言とかは耐えてこられたんだけど、さすがに住所特定されたのはキツくて。あーーってなっちゃって、もうやけになってやめるって動画あげたの」

YouTubeのコメント一覧、Xとかインスタのリプ、DM。
自分に飛んでくる言葉ではないけれど、ゆっくりと着実に私を腐敗させていく菌みたいだった。私の中から、何かが根こそぎ取られていくような。

「マネージャーもこの状況みて、安全のために活動をいったん休止して、引っ越した方がいいって」

で、ここからはオフレコなんだけど、みいあちゃんは人差し指を口元に持っていき、隠しきれない満面の笑みを湛えていた。

「で、もういっそ、この際マネージャーと……一緒に幸せに暮らそうってなって。わたし手続き的なことあまり得意じゃないから、引っ越すこととかに関しては全部マネージャーがやってくれるみたいでになって」

ひだかさんは、何かピンと来たようで少し手を上げて、問いかける。

「マネージャー、どんな雰囲気の方ですか?」
「髪の毛青くて、身長わたしと同じくらいで、ちょっとぷよっとしててかわいい?」
「かわいいかどうかはさておき、髪の毛と身長はそうでしたね。とすると、今日、朝早くにここの近所のローソン来てたんじゃないですか」

みいあちゃんは一瞬で頬が赤らんだ。けれどそれを隠すように口元に手を持っていく。海で拾う桜貝みたい。

「なんで知ってんの」
「僕はここから徒歩三分のコンビニで店員をやっているので。今日派手な人が来たと思ったら、みいあちゃんっぽい人がいたので」
「まあ、そうか。WHOOOM、近くだしそうなのかなあ」

WHOOOMは、この辺りで一番盛り上がっているYouTuber事務所だった。

YouTuberのイベント開催、グッズ販売グッズ企画からすべてを担う。再生数が伸びているYouTuberならだれでもプロデュースをしていて、料理系YouTuber、VTuber、そしてみいあちゃんのような美容系YouTuberまで、かなり手広い範囲を網羅していることで有名なベンチャーだった。

「ごめん。マネージャー、今日ピリピリしてたからなんかやな感じだったよね。本当はあと三日でここから引っ越す予定で緊張してて」

「本当に、やめたいんですか」

ひだかさんは、みいあちゃんのことをじっとりと見つめる。静かな部屋の空気は、私の服のこすれる音すら耳をなめるように入ってくるような気がした。

「うずくまっていたとき、僕らがみいあさんに声をかけたとき、あなたが錯乱していたとき。みいあさんはなんとおっしゃっていたか覚えていますか?」

みいあちゃんは、微笑んでいる。
南向きの窓の遠くで、真っ青な空に太陽と一緒に控えめに浮かんでいる月。彼女はその月みたいに控えめなともしびのようにも思われた。

「悔しいとか、許せない、とおっしゃっていたんです」
「ええ、」
「どんなことを考えているのかは僕は知りませんが、なにかがあなたの意志とは違うところで操作されている感覚があるんじゃないですか」

みいあちゃんは表情を変えず、黙って笑みを浮かべたまま、顔を下向きに三十度くらい傾けて、汚れ一つない白いダイニングテーブルを眺めていた。

「本当に、完全にお酒に酔っていたのでしょうか」
「それは──」

突然、軽快なマリンバの音が響いて、みいあちゃんはポケットからスマホを取り出す。

「ゆうき」

電話を受けている間、彼女は立ったまま、その場をぐるぐると回り続けていた。

「今? ちょっと……知り合いのとこにいる」
「そういうんじゃないよ……ごめん急にいなくなって」
「そうする。うん。ごめん」

スマホから漏れてくる音から、興奮して落ち着かない様子の男性の声。

「本当に、このまま引っ越しちゃっていいんですか」
「……わかんない。でも、せっかく頑張って私50万人もチャンネル登録者を増やしてきて、100万回再生の動画も何個もつくって、アイドル活動もして。せっかくこんなにいい家、生活を勝ち取れたのに、わたしが動かなくちゃいけないのは、正直モヤモヤする」
「じゃあ、みいあちゃんを貶めた側を動かしてみましょう」
「え?」
「みいあさん、先ほど見せていただいたように、誹謗中傷や殺害予告はXや掲示板サイトなんかでやられてますよね。何かしら特定する手立てがあるかもしれません。僕に一度任せていただけませんか」

「やろっか、秘密の卒業動画と卒業公演。マネージャーには秘密で。こっそり。ね、さきちゃん。一緒やろうよ」

一週間で、緊急卒業投稿と卒業公演。
いままでに経験したことのないタイトなスケジュールと要望。とてつもないプロジェクトマネジメントになる。そう思うと何かが震えだした。

「いいんですか」

ほのかちゃんと私は、自分がいままで憧れていた人の最後の大仕事にかかわれる。少なくとも五十万人いるファンに向けて、みいあちゃんを、魅力的な舞台に立たせる。感じたことのない緊張感が走って、体の奥底からこんこんと、泉のように活力がみなぎってきた。

私は、頼まれたら断れない。そういう性格だから。

「お酒に潰れてた私を助けてくれたからさあ。お願いできるかな」
「こちらこそ、お願いします」

みいあちゃんは、にこりと微笑み、また電話をかけ始めた。

「ゆうき」
手を伸ばしても、届かない、彼女たちの間に何か大きく、なめらかであまいかべが閉ざしている、そんな魅惑的な声。

「ずっとわがままばっかでごめん。あと最後、一週間だけ待って」

耳鳴りがするほど静かな空間に、小さなため息の音と、「仕方ないな」という男性の音声が聞こえてきた。

第8羽につづく🐥≫


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