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作品は楽しむ環境をひっくるめて「作品」なんだ!(note社PRチームの読書共有会より)

西川美和監督の映画を観て、西川美和監督のエッセイを読む。最近の毎日はそんな感じだった。映画は好きだけど知識は浅い。さらには、映画館恐怖症でもある。だから、監督指名で作品を選ぶという経験ははじめてだった。

映画館恐怖症
窓もなく真っ暗な閉鎖空間のため、作品観賞後に外に出たら、街が崩壊しているのでは、戦争がはじまっているのではなどと妄想に取り憑かれてしまう症状。命名、わたし。同じ症状の人には出会ったことはない。
なお、予告編・CMターンを乗り越えれば、作品にのめり込めるのでイケる。

「すばらしき世界」を観に行きたいなと思っていた今年の2月。ちょうどnote社CEOの加藤さんが会議で、西川美和監督のエッセイ『映画にまつわるXについて2』と『スクリーンが待っている』がおすすめだと話していた。『スクリーンが待っている』は「すばらしき世界」の制作過程が描かれたものだという。恥ずかしながら、そこではじめてわたしは「すばらしき世界」=西川美和監督作品だと知った。

「西川美和監督。永い言い訳……あ、観たかった作品だ!夢売るふたり……あ、おもしろかった作品だ!ゆれる……これも気になる」

ということで沼に足を踏み入れ始めたわたしは、映画「永い言い訳」「夢売るふたり」「すばらしき世界」を観て、エッセイ『映画にまつわるXについて』『映画にまつわるXについて2』『スクリーンが待っている』を読んだ。(「ゆれる」をまだ観れていないのがつらい)

note社のPRチームでは定期的に読書共有会をしている。ジャンルはなんでもよくて、読んだ後の感想や学びをプレゼンする会。昨日はわたしの番で、『スクリーンが待っている』の話をしたので、せっかくだからnoteに書き残そうと思ったのでした。

スクリーンは果たして、待っていたのか

佐木隆三氏の『身分帳』を原案に、西川美和監督がはじめてオリジナルではなく小説を元に作品をつくったのが「すばらしき世界」。『スクリーンが待っている』はその制作過程を描いたエッセイで、映画のつくり方を知らないわたしは、ひえー!そんなに大変なのかとアホみたいな感想を抱きながら読んでいた。

日本、とくに東京の撮影許可のとれなさ。怒涛のオーディション。あらゆる音の再現録音。映画制作の知らなかったことがたくさんあったけれど、このエッセイでわたしが一番グググと思ったのが、コロナの足音だった。

「すばらしき世界」の撮影は2020年の1月半ばにすべて終えた。なんか新型のウイルスが武漢で発生したらしいね、くらいの時期だ。そこから徐々にマスクをする人が増え、作業部屋の扉を開けっぱなしにするようになり、少しでも倦怠感を感じたスタッフに休みを言い渡すようになった。西川組は、同じ撮影所内にいたテレビシリーズの俳優に陽性反応が出たことで、自主隔離をするにまでいたる。

撮影後の編集過程が語られる隙間すきまに、コロナの存在がひたひたと近づいてくる。結果、映画祭の頃には、2019年までとはまったく違う環境ができあがっていた。

その国で初めてのお披露目が映画館ではなく、各自のパソコンモニターや携帯の画面だというのだ。〝スクリーンが待っている〟はずだったのになあ……。「どうやら上映したらしい」と遠い噂を聞くばかりで、自分の映画を誰かに観てもらったという実感はまだない。

西川美和『スクリーンが待っている』より

「すばらしき世界」が世界初のお披露目上映をしたのはカナダのトロント国際映画祭だったが、ソーシャル・ディスタンスのため、358人入る劇場に50人という閑古鳥状態での上映だったらしい。

観る人の方も、「客席に並んで、他人同士ひしめき合うようにして同じ映画に興奮する楽しみ」──そんな理想とはまるで別物の劇場体験だったろう。

西川美和『スクリーンが待っている』より(太字はせきやが追記)

さらに、アメリカの映画祭では、オンライン配信のみで観客に作品が届けられたという。

作品を楽しむ環境も含めて「作品」

音楽をやる知人がよく話すのは「音楽はその場にいる人たちに呼応して、場の空気をつくるもの。同じ音楽をネットに載せても、それは別物だよ」ということ。

映画もそうなんだ。劇場で人と人が肩を並べて作品を観るから、感情が伝搬して、気持ちが膨らむこともある。もちろん映像や音響の設備も違う。家の画面で一人で観るのとは、体験がまったく違うんだろう。

わたしは冒頭に添えた「映画館恐怖症」に加え、ハラハラするのがムリめな残念な心臓を持ち合わせている。ハラハラの許容範囲を超えると作品を一時停止したくなるわたしにとって、動画配信サービスは大変重宝するものなのだけれど、劇場で観ること込みで「映画」なんだと、当たり前のことをあらためて痛感したのがこのエッセイだった。

コロナ禍。インターネットがあるから、家にいながらにしていろんな作品を楽しめる。映画も音楽も絵画も本も。厳しい状況の中でも心を保てているのは、不要不急といわれる「文化」をインターネットでなんとか楽しめているからという部分も大きい。

でも、インターネットにのることでその体験が変質する。そういうコンテンツもたくさんあるんだということには、自覚的でありたい。

どちらも大切

「すばらしき世界」はシカゴの映画祭で「観客賞」を受賞した。オンライン配信で観賞したお客さんからの投票で決まった賞だ。

劇場でのスタンディングオベーションの熱狂も、街に出回る口コミもなく、ただ米国各地の人々が自分だけの実感で投票をしてくれた。

西川美和『スクリーンが待っている』より
スクリーンは閉ざされていたけれど、遠く離れ離れに暮らす人々が、各々に映画を手にとってくれたのだ。新しい映画の伝え方が、見えたようにも思った

西川美和『スクリーンが待っている』より(太字はせきやが追記)

劇場で観ることができなくても、届けられる体験がある。西川美和監督の言葉からは、状況に応じて順応する強さを感じる。

インターネットがなければ出会えなかった作品もたくさんある。場所の壁、国の壁を乗り越えられて、より必要な人に作品や想いを届けられるのはインターネットのよさだと思う。

だから、どちらも大切。


ちなみに「すばらしき世界」を、わたしは劇場で観ることができた。伊勢佐木町の横浜シネマリン、ノスタルジックでおすすめです。

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