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それでも、人生は続いていく

あっという間に、今年も二ヶ月を切った。

前回の記事から、もう二ヶ月以上経っている。書けなかった理由はいくつかあるが、大きくは母が亡くなったからだった。

このご時世で、不特定多数の方が目にする可能性がある場で人の死について触れることが憚られた。そして、何よりわたし自身がとても言葉にする勇気がなかった。毎朝、日記にだけ思いの丈を書き連ねた。毎日、毎日。時には、止まらない涙と格闘しながら書き続けた。ようやく、わたしはこのページを開くことができた。


わたしの母は、祖父から暴力を受けて育ったアダルトチルドレンだった。毎晩、酒を飲んでは暴れる祖父に怯えて幼少時代を過ごした人。

彼女は自然と、幸福や人間の成り立ちに興味を持ちクリスチャンになり、保育士となり、わたしの母となり、経営者となり、福祉の仕事に邁進し、ガンとの闘病の末死んでいった。

彼女の人生やわたしの生い立ちについて触れるには、あまりに情報量が膨大なのでここで詳細に触れることは控えようと思う。ただはっきりしていることは、わたし自身もアダルトチルドレンであり、これまでもこれからも機能不全の家庭で育った人間という現実が、ただ目の前にあるということだ。

わたしがはっきりと、自分には問題があると自覚したのは27歳のときだった。それまで、わたしは自分が努力し続けさえいれば何事もうまく回っていくのだと思っていた。違和感や悲しみから目をそらし、目の前のことに没頭していれば、学び続ければ、笑っていれば、物事を処理していけるんだと信じていた。自分さえ、努力すれば。

でも、現実はそうはいかなかった。わたしは自分の欠落に気づき、その現実はわたしを打ちのめした。自分だと思っていたものが、自分ではなくなっていくのを感じた。何をやっても、どこに行っても、途方もない孤独がつきまとった。人間は何をしていても孤独なのだと、そんなのわかっているはずなのに、どうしようもない寂しさがわたしを覆った。誰かと一緒にいても、笑っていても、心が乾いていくのを感じた。


それでも、わたしはやはり未来に想いを馳せていた。過去を振り返れば、悲しい思い出ばかりだ。これを書きながらも、そのあれこれが思い出されてまだ涙が出てくる。わたしの脳がインプットしてしまった思い出がいまだにわたしを苦しめてくる。母と笑いあった思い出も、彼女が発した死にたくなるような言葉も、そのどれもが脳裏にこびりついて離れない。でも、寂しさも後悔も意味がない。ただはっきりしているのは、これからも生きていかなければいけないということだけだ。何があってもなくても、人生は続いていく。わたしは、その事実を強烈に理解した。


何があってもなくても、人生は続く。

そして遅かれ早かれ、必ず終わりはやってくる。


わたしも、母のように長くは生きられないかもしれない。人生100年時代なんて、ちゃんちゃらおかしい。そんな悠長なことを、わたしは考えてる場合じゃないなとはっきりと思った。おばあちゃんになったら、なんて思っていたことを今からやらなければ。それでも、間に合わないかもしれない。この命の期限までに、わたしができることなんてたかがしれている。過ぎ去ったことよりも、これからの未来にだけ目を向けたい。

わたしは物心ついた時から、不幸の犠牲者となった多くの人々と関わり合いをもってきた。だから、わたしにとって人生は絶望だった。幸運にも、母のたゆまぬ探究心から生み出された教育のおかげで、今のわたしがある。たくさんのすれ違いや運命のいたずらで、わたしは母に優しくできなかった。彼女を、幸せにできなかった。でも今、わたしは彼女の想いを自分の存在によって理解することができた。わたしがどんなに倒れても立ち上がり、友人に恵まれ、毎日を穏やかに過ごしているのは、紛れもなく母の想いの形なのだ。それに気づいたわたしは今、やるべきことをやる人生を送りたいと考えている。やるべきことをやることが、誰かを救うことになるとわたしは信じている。

母は、誰かを幸せにしたいと自分の命が燃え尽きるまで駆け抜けた。苦しむ人がいれば、抱きしめ、励まし、ともに暮らし、生きる希望を持つまでその人に寄り添った。子どものわたしにとって、なぜそこまでするのか理解できなかった。彼女が抱きしめ、励まし、ともに暮らし、笑えるようになるまで寄り添った人たちは、幼い母自身だったのだろう。母は、目の前の人を救うことで自分自身を救おうとしていたのだ。それが、彼女にとってのやるべきことだったのだ。


ただ、自分がやるべきことをやるだけの人生を。


それは、わたしが新しく生まれ変わったわけではなく、戻っていくのだ。ただ、わたしがわたしに戻っていくだけ。悲しみが癒えたわけでも、何かが平気になったわけでもない。ただわたしは、わたしの人生を受け入れた。これが、紛れもない自分の人生なのだ。それでも、この瞬間もわたしはバカみたいに未来を信じている。まだ見ぬ未来が明るいものであると信じるのは、わたしの人生に対する揺るぎない決意なのだ。

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