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精神分析は効かない?!

精神分析って言えばフロイドでしょ?もうそんなの古いでしょ、と思われている方も多いのではないでしょうか。某大学の教授からエビデンスがない療法と名指しを受けてしまった精神分析はエビデンスがあるとされる認知行動療法と比較して効果がなく胡散臭いのでしょうか?


そもそもエビデンスとは何か?

「エビデンスがある」とは実験などによる研究結果から導かれた科学的な裏付けがあるということです。行われる実験にも何段階かスタンダードがあり、例えば、実験に影響をおよぼすであろうと思われる要素をできる限り排除したデザインで行われたもの(例えば、実際に実験をガイドする者も、参加する者も何について調べているのかを知らされないなど)は信頼性が高いということになります。その他にも、実験に参加した人数が多い方が少ない実験よりも信頼性が高いということも言えます。

実際、認知行動心理学はそもそも条件反射を研究したパブロフらから始まった学問であるため、圧倒的な数の実験結果をバネに飛躍していった学問と言え、それ故、現代医学のエビデンス重視傾向にがっちりとはまり急速に広まっていると言えるでしょう。その一方、精神分析はその点において一歩遅れを取っていると言えます。

とは言えシステム的な弊害があることも言及せざるを得ません。ドイツで臨床心理学部のある50の大学のうち精神分析を専門とする教授がいるのはカッセル大学のみです。そう私の恩師であるProf. Dr. Cord Benecke (コート・ベネケ教授)のみなのです。他の大学はすべて認知行動心理学を教えています。この教えられる内容の不均衡は、同時に分配される研究費の不均衡をも意味し、最終的に認知行動療法の突出したエビデンスを支えているのです。


精神分析はエビデンスしでなぜまだ学問として成立しているの?

精神分析は皆様もよくご存じの通り精神科医のフロイド氏が自分が治療をした患者の記録を元に理論を数十年にわたって作り上げていったものです。つまり、彼は実験をしたわけではありません。これは少し前のドイツでも精神分析という言葉が出ればすぐさま反論として出てくる論点でした。ではなぜ、エビデンスのない精神分析が学問としてヨーロッパ、アメリカ、南アメリカ、最近では中国においても社会的に確固とした地位を保っているのか。

一つの理由は精神分析は哲学ととても近い位置づけをされているという点です。つまり、精神分析にとって症状を軽減するという医療行為はその学問のごく一部でしかないのです。精神分析のさらなる目的は、哲学との強いつながりを武器に社会的な問題、文化的または哲学的な問題と対峙していくこと。

例えば差別問題。イギリス人精神分析家 F. Davids氏は著書『 Internal Racism(内なる差別)』の中で、どのようにして一人の人間の心に差別的な考えが構築されていくのかというメカニズムを解明しています。また、少し古い本ですが、ドイツ人精神分析家 A. Mitscherlich が妻で同じく精神分析家であるMargareteと共同執筆した本『Unfähigkeit zu Trauern(喪われた悲哀-ファシズムの精神構造¹)』ではタイトルからと見とれるように、ドイツの暗黒時代を精神分析的視点から分析しています。同じファシズムではイエール大学哲学科教授のJason Stanley氏が 『How Fasismus Works(ファシズムはどこからくるのか)』という本を出しているところにも、哲学と精神分析ではもちろん視点は違えど、研究の対象が重複することを指しています。

精神分析のエビデンス


とは言え、医療行為を行う以上、エビデンスがあることに越したことはありません。それも精神分析が否定するところではありません。つまり、精神分析が実験を行っていないというのはとても古い情報です。確かにフロイドの時代にはエビデンスはありませんでした。しかし、フロイド以降の多くの学者たちがエビデンスがないという批判を受け、次々と研究結果を発表しています。

以下、ほんの一部ですが例を挙げます。

Abbass, A., Kisely, S. & Kroenke, K. (2009)Short-term psychodynamic psychotherapy for somatic disorders: systematic review and meta-analysis of clinical trials. Psychother Psychsom 78(5), 265–274.

Doering, S., Hoerz, S., Rentrop, M., Fischer-Kern, M., Schuster, P., Benecke, C. et al.(2010) Transference-focused psychotherapy v. treatment by community psychotherapists
for borderline personality disorder: randomized controlled trial.Br J Psychiatry 196,389–395

Milrod, B., Leon, A. C., Busch, F., Rudden, N.,Schwallberg, N., Clarkin, J. et al. (2007) A randomized controlled clinical trial of psychoanalytic psychotherapy for panic disorder. Am J Psychiatry 164, 265–272.

Messer, S.B. & Abbass, A. A. (2012) Evidence-based psychodynamic therapy with personality disorders. In: J. Magnavita (Hg.) Evidence-based treatment of personality dysfunction:principles, methods and processes. Washington, DC: American Psychological Association Press.

Leichsenring, F. & Rabung, S.(2008) Effectiveness of long-term psychodynamic psychotherapy. A meta-analysis.JAMA 300 (13), 1551–1565.


治療の約50%が精神分析的手法であるドイツ

日本では認知行動心理療法が極めて優勢である印象を受けます。それではドイツの現状はどうでしょうか。

まず簡単に日本とはかなり異なるドイツの心理療法に関する法について説明をします。

ドイツでは1990年代初期に心理療法士に関する法整備が整い、医者と同様に医療行為を公的保険を使って行うだけでなく、診療所を開業することが可能となりました。それと同時に新しい国家資格取得までの教育システムが確立されました。この法律により心理療法士という名称が独占されているだけでなく心理療法(サイコセラピー)という業務自体も独占されています。このように国家主導の管理により、治療者のクオリティーが現在まで厳しくチェック、維持されています。

それでは、現在のドイツにおいて実際に行われている治療方法の割合はどうなっているでしょう?私のNote内の記事「ドイツでメジャーな3つの心理療法」でも触れたようにドイツで行われている治療の約半数が精神分析または精神分析的心理療法です。信用のならない手法が公的健康保険で全額カバーされ、かつ治療の半数がその手法によって行われるなんてことがあり得るでしょうか?


精神分析バッシングは時代遅れ

ドイツでも少し前までは認知行動心理学の飛躍とともに「フロイドバッシング」と呼ばれる精神分析を批判する傾向が見て取れました。しかし、最近では過去の研究結果からもわかっているように、どちらかの療法が決定的に効果的であるというわけではないため(この理論をドードー鳥の判定"The Dodo bird verdict"と呼ぶ)、医療システムの中で互いに補完かつ共存していく、お互いのいい所を学んで取り入れていくという方向に進んでいます。

ドードー鳥の判定についてとても分かりやすい説明をしてくださっているサイトをここにお借りします。

結局どの情報を信用したらいいの?

上記の某大学教授による指摘の一部である「しっかりとした資格と技術を持たない自称カウンセラーを信用すべからず」という点に関しては私も同感です。心のケアは「話すだけなら少しかじっただけでもできるんじゃない?」と思われがちですが、目に見えないからこそ、話すことでしか治療ができないからこそ、そう簡単にできるものではないのです。

それを踏まえたうえで、しっかりとした経歴を持つ、信頼できる資格を持った専門家へ相談するようにしていただきたいと思います。

また、認知行動療法が特に効果を出す病気、精神分析の方が効く病気というものがあることが研究結果からもわかっています。また、患者さんの性格などにより手法への適正も違ってきます。それゆえ、どれか一つの手法を批判するということ自体に私は強い不信感を抱きます。どの手法の肩を持つというのではなく、患者さん一人ひとりに最もふさわしい治療方法を勧めることのできる多様性に富んだ医療システムを維持していくことこそが、最終的に最高の医療制度であると言えるのではないでしょうか。

出典

1 日本語タイトルは馬場謙一氏の訳から拝借 https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN01226558

タイトル写真 Photo by Julien Tondu on Unsplash

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